サマー2021 [ちゃんぷる]
梅雨が明けて一気に暑くなった。
くるみは一足早く5日に、ちゃんぷるは今日20日にサマーカットしてきた。
ちゃんぷるは1週間ほど前、右目の下を引っ掻いて赤くなっていたから、カエル型のカラーをつけてた。
サマーカットにするとふたりとも若く見える。
ちゃんぷるはもう16歳だから、トリマーさんも気を使ってくれて、短時間で、ほんの1時間ほどで終わらせてくれた。いつも通ってる病院で診察も込みでやってもらうから安心ではある。
でも、腰回り、だいぶ痩せたなぁ。昔は筋肉すごかったからなぁ。
とは言っても、トリマーさんにも、とても16歳には見えないって言われたくらい、元気だから嬉しい。
いい夏を過ごしたいね。
くるみは一足早く5日に、ちゃんぷるは今日20日にサマーカットしてきた。
ちゃんぷるは1週間ほど前、右目の下を引っ掻いて赤くなっていたから、カエル型のカラーをつけてた。
サマーカットにするとふたりとも若く見える。
ちゃんぷるはもう16歳だから、トリマーさんも気を使ってくれて、短時間で、ほんの1時間ほどで終わらせてくれた。いつも通ってる病院で診察も込みでやってもらうから安心ではある。
でも、腰回り、だいぶ痩せたなぁ。昔は筋肉すごかったからなぁ。
とは言っても、トリマーさんにも、とても16歳には見えないって言われたくらい、元気だから嬉しい。
いい夏を過ごしたいね。
事実は小説よりも奇なり [Book]
Truth is stranger than fiction.
〜事実は小説よりも奇なり
僕は本が好きで、だいたいいつも何かしら読んでいる。先月から電車で通勤しているので、その時間も読書しているから読書量も増えた。
読み終わった本はほとんどブックオフへ持って行き買取してもらう。ウチの本棚に残すのはわずか。
残すのは置いておけばカッコイイと思うもの。たとえばガルシア・マルケス「百年の孤独」はかなり面白かったし3000円もするし通ぶれる気がするので置いてある。またウィリアム・バロウズ「裸のランチ」は、面白いともなんとも思わなかったけれど、インテリアとして置いてある。
またその辺の本屋に置いていなかったり、絶版になりそうだったりして、今後簡単には買えないようなものは残す。あと詩集はふと手に取ることもあるので残す。
文庫本の小説は、また読みたくなったらすぐ買えるものがほとんどなので、どんなに面白かったとしても基本的にほぼ手放す。なので村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」なんて5回も買ってる。
15年ほど前まではちゃんと本の価値を査定して買い取ってくれる古本屋へ持って行っていた。貴重な本にはそれなりの値がつく。初版なら多少査定も上がるだろう。
しかし、その店が閉店してからは近場のブックオフで済ますようになってしまった。
ブックオフの買取は本の価値など見ちゃいない。奥付けなんて見やしないのだ。バーコードをピッと読み取り、予め定められた査定価格が表示される。
このブックオフのPOSシステムが「小説よりも奇妙な事実」を起こすことになる。
僕は、一昨日までロバート・A・ハインライン「夏への扉」を読んでいた。読了し、昨日からモーパッサン「脂肪の塊」を読んでいる。
今日、すでに読み終えた本26冊をブックオフへ持って行った。「夏への扉」はその中に入れたが、当然いま読んでいる途中の「脂肪の塊」は入れてない。
15分ほどで査定が終わり1375円。まぁそんなもん。現金を受け取り、その中から、待っている間に選んだ100円の文庫本3冊の支払いをして店を出た。
何がいくらで売れたかなんて特に気にもしていなかったが、ふと買取のレシートを見たら一番最後に「脂肪のかたまり」とある。
ん?これは入れてないはず。家を出る前に読書用のメガネと一緒にテーブルの上に置いてあったのを間違いなく見た。
なぜだ?
レシートを詳しく見てみる。
と、「夏への扉」がないことに気づいた。
少し、考えた。
あぁ、そうか。カバーをつけ間違えたのか。
僕はいつも文庫本も単行本もカバーを外して読む。
一昨日「夏への扉」を読み終わったあと次に何を読もうか、在庫から選んで「脂肪の塊」に決めた時にきっと、外したカバーを「夏への扉」につけてしまったのだろう。
「夏への扉」のカバーはそのまま置いてあるに違いない。
本体があるからカバーなんてどうでもいいので、そのまま帰ろうかと思ったが、買い取ってもらった「夏への扉」に「脂肪の塊」のカバーが付いている訳で、それはいつかこの店で「脂肪の塊」だと思って買ったお客さんに申し訳ないと思い、店にもどった。
店員に買取してもらった本の中に中身とカバーが違っているものがあると伝えレシートを見せて言った。
「この"脂肪のかたまり"というのは持ってきてないはずで、持ってきたはずの"夏への扉"というのが載ってないので、中身が違っていると思う」
近くのカートの上に、僕が持ってきた26冊がまとまって置いてあったから、すぐに解決できると思い、待った。
すぐに店員が戻ってきたが「夏への扉」を持っている。
「"脂肪のかたまり"は無くて、"夏への扉"はありました」
そしてカバーを外して中も確認した。ちゃんと「夏への扉」が入っていた。
なんで?
じゃ、どうしてレシートに「脂肪のかたまり」って印字してあるのか?
店員が「夏への扉」のカバーのバーコードを読み込んで確認するが「夏への扉」で間違いない。当たり前だ。
どうしてここにない「脂肪の塊」が出てきたのか?
「夏への扉」を手にして店員が言う。
「たぶん偶然、これを読み間違えて"脂肪のかたまり"って出てしまったんだと思います」
確かにそれ以外に考えられない。
しかし、そんな偶然があるのだろうか。
僕が一昨日まで読んでいた「夏への扉」のバーコードを、僕が昨日から読み始めた「脂肪の塊」とコンピュータが読み間違えるなんて。
レシートを見ると「脂肪のかたまり」は50円。「夏への扉」は人気俳優が主演で上映中の映画の原作なので250円。
ということで「夏への扉」の買取処理をして250円を受け取った。「脂肪の塊」の分の50円は返さないでいいのかと訊ねたが、それはそのままでいいということで、僕は50円得をした。
どうしてこんなことが起こったのか、さっぱり分からない。
ただモーパッサンの「脂肪の塊」昨日から読み始めたが、僕には合わないようで、いまいち面白くない。この本は短編集なのだが、3編ほど読み終えて、もう最後まで読まずに売ってしまおうかと考えたのは事実。だけど、やはりもう少し読んでみようと考え直したのだった。
当然だが、買取査定の前にそんな話はおくびにも出していない。
何か不思議な力がはたらいたのだろうか。
売ってしまおうかと考えた僕の思考をコンピュータが読み取ったのだろうか。
ひとつ分かったことは、いつか「脂肪の塊」を持ち込んだら買取価格50円だということだ。
家に帰って確認したが、当たり前だが「脂肪の塊」の本体とカバーはちゃんとあった。
さて、この話。
事実なのか、僕がでっちあげた掌編なのかは、あなたの想像次第。
〜事実は小説よりも奇なり
僕は本が好きで、だいたいいつも何かしら読んでいる。先月から電車で通勤しているので、その時間も読書しているから読書量も増えた。
読み終わった本はほとんどブックオフへ持って行き買取してもらう。ウチの本棚に残すのはわずか。
残すのは置いておけばカッコイイと思うもの。たとえばガルシア・マルケス「百年の孤独」はかなり面白かったし3000円もするし通ぶれる気がするので置いてある。またウィリアム・バロウズ「裸のランチ」は、面白いともなんとも思わなかったけれど、インテリアとして置いてある。
またその辺の本屋に置いていなかったり、絶版になりそうだったりして、今後簡単には買えないようなものは残す。あと詩集はふと手に取ることもあるので残す。
文庫本の小説は、また読みたくなったらすぐ買えるものがほとんどなので、どんなに面白かったとしても基本的にほぼ手放す。なので村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」なんて5回も買ってる。
15年ほど前まではちゃんと本の価値を査定して買い取ってくれる古本屋へ持って行っていた。貴重な本にはそれなりの値がつく。初版なら多少査定も上がるだろう。
しかし、その店が閉店してからは近場のブックオフで済ますようになってしまった。
ブックオフの買取は本の価値など見ちゃいない。奥付けなんて見やしないのだ。バーコードをピッと読み取り、予め定められた査定価格が表示される。
このブックオフのPOSシステムが「小説よりも奇妙な事実」を起こすことになる。
僕は、一昨日までロバート・A・ハインライン「夏への扉」を読んでいた。読了し、昨日からモーパッサン「脂肪の塊」を読んでいる。
今日、すでに読み終えた本26冊をブックオフへ持って行った。「夏への扉」はその中に入れたが、当然いま読んでいる途中の「脂肪の塊」は入れてない。
15分ほどで査定が終わり1375円。まぁそんなもん。現金を受け取り、その中から、待っている間に選んだ100円の文庫本3冊の支払いをして店を出た。
何がいくらで売れたかなんて特に気にもしていなかったが、ふと買取のレシートを見たら一番最後に「脂肪のかたまり」とある。
ん?これは入れてないはず。家を出る前に読書用のメガネと一緒にテーブルの上に置いてあったのを間違いなく見た。
なぜだ?
レシートを詳しく見てみる。
と、「夏への扉」がないことに気づいた。
少し、考えた。
あぁ、そうか。カバーをつけ間違えたのか。
僕はいつも文庫本も単行本もカバーを外して読む。
一昨日「夏への扉」を読み終わったあと次に何を読もうか、在庫から選んで「脂肪の塊」に決めた時にきっと、外したカバーを「夏への扉」につけてしまったのだろう。
「夏への扉」のカバーはそのまま置いてあるに違いない。
本体があるからカバーなんてどうでもいいので、そのまま帰ろうかと思ったが、買い取ってもらった「夏への扉」に「脂肪の塊」のカバーが付いている訳で、それはいつかこの店で「脂肪の塊」だと思って買ったお客さんに申し訳ないと思い、店にもどった。
店員に買取してもらった本の中に中身とカバーが違っているものがあると伝えレシートを見せて言った。
「この"脂肪のかたまり"というのは持ってきてないはずで、持ってきたはずの"夏への扉"というのが載ってないので、中身が違っていると思う」
近くのカートの上に、僕が持ってきた26冊がまとまって置いてあったから、すぐに解決できると思い、待った。
すぐに店員が戻ってきたが「夏への扉」を持っている。
「"脂肪のかたまり"は無くて、"夏への扉"はありました」
そしてカバーを外して中も確認した。ちゃんと「夏への扉」が入っていた。
なんで?
じゃ、どうしてレシートに「脂肪のかたまり」って印字してあるのか?
店員が「夏への扉」のカバーのバーコードを読み込んで確認するが「夏への扉」で間違いない。当たり前だ。
どうしてここにない「脂肪の塊」が出てきたのか?
「夏への扉」を手にして店員が言う。
「たぶん偶然、これを読み間違えて"脂肪のかたまり"って出てしまったんだと思います」
確かにそれ以外に考えられない。
しかし、そんな偶然があるのだろうか。
僕が一昨日まで読んでいた「夏への扉」のバーコードを、僕が昨日から読み始めた「脂肪の塊」とコンピュータが読み間違えるなんて。
レシートを見ると「脂肪のかたまり」は50円。「夏への扉」は人気俳優が主演で上映中の映画の原作なので250円。
ということで「夏への扉」の買取処理をして250円を受け取った。「脂肪の塊」の分の50円は返さないでいいのかと訊ねたが、それはそのままでいいということで、僕は50円得をした。
どうしてこんなことが起こったのか、さっぱり分からない。
ただモーパッサンの「脂肪の塊」昨日から読み始めたが、僕には合わないようで、いまいち面白くない。この本は短編集なのだが、3編ほど読み終えて、もう最後まで読まずに売ってしまおうかと考えたのは事実。だけど、やはりもう少し読んでみようと考え直したのだった。
当然だが、買取査定の前にそんな話はおくびにも出していない。
何か不思議な力がはたらいたのだろうか。
売ってしまおうかと考えた僕の思考をコンピュータが読み取ったのだろうか。
ひとつ分かったことは、いつか「脂肪の塊」を持ち込んだら買取価格50円だということだ。
家に帰って確認したが、当たり前だが「脂肪の塊」の本体とカバーはちゃんとあった。
さて、この話。
事実なのか、僕がでっちあげた掌編なのかは、あなたの想像次第。