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2023年6月14日1時30分 [ちゃんぷる]

6月14日 水曜日 午前1時30分
ちゃんぷるが永遠になった。

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2004年12月1日生まれ。18歳6ヶ月と14日。
出会ったのは2005年2月13日。
共に暮らし始めた2005年3月1日から18年3ヶ月と14日。
ちゃんぷると共に生きて、本当に幸せだった。

もうこのブログは去年末のちゃんぷるの18歳の誕生日を最後に更新するつもりはなかった。いつか来る最期の日のことを考えたら、幸せな誕生日を最後の記事にしておきたいと思っていたから。そのうちブログを本にできるサービスで、これまで同様、まだ本にしていない2020年からのちゃんぷるとくるみの記事をまとめて、ついでに2023年の1月からくるみの誕生日の6月13日までの写真を掲載して本にしたら、ブログはひっそりと閉じてしまおうと思っていた。
だけど、いつかが今になってしまって、この日のことを憶えていたくて、この日の気持ちを忘れたくなくて、数年後の自分のために書いておこうと思った。
書きながらきっと何度も泣くだろう。これまでの人生で感じたことのない痛みだ。つらくて悲しくて寂しくて。
それでも書いて残しておこうと思った。

ちゃんぷるは最後まで本当にがんばってくれた。4年くらい前から腎臓、心臓、胆嚢の薬を服用していた。3月に体調を崩して夜間救急に行ったのだけど、それ以降は血液検査で腎臓病の数値がかなり高く、血中の尿素窒素の値は計測不能というところまでなっていた。ちゃんぷるはそんな状態で自分の体の限界まで、全ての力を使って、少しずつ少しずつ俺に覚悟する時間を与えてくれた。だけど、そんな覚悟は何の役にも立たなかった。ちゃんぷるを撫でたくて、ちゃんぷるに触りたくて、今も涙が出る。

6月11日 15:45ごろ痙攣の発作を起こしてしまい、急いで病院へ。約3時間処置をしてもらったけれど、その後にまた発作が出てしまったから黄金町の24時間体制の救急病院を紹介してもらい、そこに移った。
そこで最初に診てくれた先生は血液検査の数値を見て、犬でこんな数値は見たことがないと言っていた。ちゃんぷるはほんとに強いやつなんだ。
発作のせいで、脳障害になってしまう可能性もあると言われた。もし心臓が止まった場合の心臓マッサージなど強い延命は希望しないと伝えた。とにかく、自宅で看病できるくらいにまで回復するのを目標に治療しましょうと。

その晩、俺はそのまま病院に残り待合室で過ごした。仕事帰りだった連れは一回帰って翌早朝にきた。
12日、ちゃんぷるは前日よりも普通の顔になってた。診療室の酸素室にいるから、そこにずっといる訳にはいかず、数時間おきに面会させてもらっていた。間違いなく俺たちが来たことが分かって反応してた。目だけしか動かなかったのが、起きあがろうとしたり、キュンキュンないて帰りたいって言ったり。酸素室の扉は開けさせてもらえるから、たくさん撫でて声をかけて、顔を突っ込んで頬ずりをして。
自分たちが倒れるわけにはいかないから、近くのコンビニや弁当屋でちゃんと食べるように気をつけてた。

12日が終わって深夜0時ごろふたりとも家に帰った。俺はシャワーを浴びて3時間ほど眠り始発で病院に戻った。連れはくるみの朝ごはん等の世話をしてから病院に来た。13日はくるみの13歳の誕生日。
13日はよく晴れて暑かった。ちゃんぷるは栄養を摂るために鼻にチューブをつけられた。昼前に血液検査をしたけれど、ほとんど状況は変わらず。この日は19時過ぎにふたりとも家に帰った。

腎臓の病気は食べるのがつらくて、あまり食べることが出来なくなってしまう。でもちゃんぷるは波はあったけど、5月の3週目ごろまでは手作りのごはんを、完食できなくても食べてくれていた。薬もちゃんと飲んでいた。
その後は流動食がメインになったけど、市販の柔らかい介護期用のフードも食べてくれていた。6月3日まで。
6月3日、俺はライヴがあった。その日は連れが泊まりの仕事が入ってしまって朝から家に居なかったから、俺は午後15時すぎからのリハーサルが終わってすぐ家に帰り、本番の1時間ほど前に戻った。ちゃんぷるは、朝昼ちゃんと食べてくれて、わりと元気で。夜は義理の妹が仕事帰りに様子を見に来てくれていたんだけど、俺はライヴが終わって打ち上げの乾杯だけして挨拶をしてすぐに帰った。夜のごはんも残したけど食べた。
このライヴは、俺のバンドでの最後のライヴだったから、ちゃんぷるはがんばってくれてたんだ。俺が心おきなくライヴできるように、元気な姿を見せてくれていた。この日までは。

次の日、4日の朝9時に点滴をしに病院に行って、帰ってきてから昼に下痢をしてしまって、それから体調を崩して流動食しか食べられなくなった。流動食もシリンジで少しずつ流し込むような感じで。病気のせいでほんとに食べるのがつらいらしく、食べさせるこっちもつらかった。

その後、6月9日、それまでよちよち歩きでも自力で歩けていたのについに立つことが出来なくなってしまった。後ろ足が膝を曲げられないし、力が入らない。
8日までは、たまに滑って尻もちをついてもがんばって立ち上がり、自分で水を飲みに行ったり、トイレに行ったり出来てた。
8日は俺たち夫婦の結婚記念日だったんだ。こんな状況だから別に何もしなかったけれど、ちゃんぷるはきっとちゃんと分かってて、安心させようとしてくれてた。これ以上ないお祝いをしてくれた。家族の大事な日に心配をかけないように、体はつらいはずなのに、自分でちゃんと出来るところを見せてくれてた。

そして、11日の発作からの2日間とちょっと。いつもの病院から24時間体制の病院に移動して入院しての2日間。いつどうなるか分からない、大きな変化はいい方にも悪い方にもなくずっと低空飛行が続いている感じ、と言われての2日間。

13日の夕方、11日にかかりつけの病院で今日が山だと思うと言われてここにきたけどその状況は変わらないのか、ということをもう一度先生に聞いたのだが、山がずっと続いているという答えだった。これが続くとどうなるのかと聞くと、あとは心臓はもちろん体力がどこまで続くかっていうことになるということだった。
そんなずっとつらい中で2日間もがんばってくれてた。

その間のほとんどの時間を病院または車の中で連れとふたりで過ごした。これは最後にちゃんぷるがくれた時間だ。
最近、心配と不安でお互いちょっとギスギスしてたところがあった。ちゃんぷるのことで意見が合わないと言葉がキツくなるし、怒鳴り合いに近いような喧嘩もしてしまっていた。
だから、ふたりで過ごす時間をちゃんぷるが与えてくれたんだな。アイツら仲良くなるようにって、その時間をくれたんだな。ただひたすら、ちゃんぷるのことを祈るようにふたりで考え、面会の後には「昨日より普通の顔になってたよね」「ちゃんと分かって反応してたよね」って話したりして。

13日、19時前に面会した時、ちゃんぷるは走る姿を見せてくれた。ふたりで撫でるとうんうんと頷いて、足をバタバタとさせた。何度も。また発作が出ちゃったのかと一瞬心配になったけど、すぐに違うって分かった。ちゃんぷるは走るのが大好きだったから、その姿を見せてくれたんだ。
俺たちはそれを見て、嬉しくて、少し安心して、くるみの世話と自分たちの風呂や着替えのために一回家に帰った。病院には夜中くらいに戻ると伝えた。

その日くるみの13歳の誕生日だったけど、お祝いはちゃんぷるが帰ってきてからということで、動物保険会社のアニコムが送ってきたバースデイカードといっしょに写真だけ撮った。
0時を少し過ぎてから、飲み物と朝に少し食べるつもりでクラッカー、それと病院の待合室が冷房で寒いから上着を用意して家を出た。マンションの立体駐車場で車に乗る直前に病院から電話があって、急患がたくさん来てるから今来てもすぐに案内できないかもと連絡があった。でも、もう駐車場まで降りてるし、病院に行っておきたいからそのまま出かけた。

病院に0時30分すぎに着いたら、車は次々くるし、待合室はいっぱいだしで忙しそうだった。受付に行き、到着していることを伝えて、容体は特に変わりなく安定していると聞いた。
この分じゃしばらく面会は無理だろうと思い、連れがアイス食べようというので、近くのコンビニではなく、川を渡って少しだけ離れたセブンイレブンに行った。俺はフローズンヨーグルトのバー、連れはソフトクリームを買った。病院に帰る途中の大岡川の橋の上でふたりで食べた。
あの夜あの時、清らかな風が吹いてた。美しい夜だった。穏やかな時間だった。
あの時間、あの景色、あの空気、一生忘れることはないだろう。ちゃんぷるがくれた、時。
食べ終わってちょうど車に戻った時、連絡が来て面会できると。

そして、午前1時30分、ちゃんぷるは俺たちに会って……。
くるみの誕生日の6月13日が過ぎるのをちゃんと待って、他の急患の動物たちの治療が落ち着くのを待って、俺たちが面会に来るのを待って……。

ほんとにがんばった。どの先生たちも口を揃えて言ってた。
3月に少し体調を崩した時点で、いつ何が起こってもおかしくない状態、ごはんを食べてるだけでもすごいことだと思ってください、と言われて、それから3ヶ月。
ちゃんと食べたし、ゆっくりだけど歩いて散歩にも行ったし、自分で水も飲んで、トイレもして、かわいいかわいい笑顔をたくさんたくさん見せてくれて。
歩けなくなって、オムツなんてするのが嫌だったのかな、俺たちの手を煩わせるのが嫌だったのかな。そんなこと思わずに、思いっきり煩わせてくれたらよかったのに。
ありがとうをいくつ言っても足りないよ。

診療室から小さな診察室へ案内されて、そこで体をきれいにしてもらっているちゃんぷるを待ってた。そりゃもうずっと泣いてた。
2:18にペット見守りカメラのファーボから通知がスマホに届いた。動きがあると15秒間映像が録画されて通知が届く。
アプリを開いて生の映像を見るとくるみがいつもちゃんぷるがいたベッドのある場所の横で吠えてその後そこに座って佇んでいた。そこはちゃんぷるの居場所だからくるみはその場所に留まることはほとんどない。あぁ、ちゃんぷる、くるみに会いに行ったんだなぁって。

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段ボールの棺に入れてもらったちゃんぷるを受け取って帰る時、看護士さんに、パパとママが来ると穏やかな表情になるねって話してたんですよと言われた。家で最期を迎えることは叶わなかったけれど、その時に一緒にいられてよかった。

家に着いたのは午前3時ごろだっただろうか。棺のふたを開け、くるみを呼んでちゃんぷるを囲んだ。そしたら、くるみがスピースピー言って泣いてた。涙がひとつポロッと。普段は涙がぜんぜん出ない子なのに。ちゃんと分かるんだな。それを見てまた3人で泣いた。

棺の周りに簡単にお供えをして、傷まないように保冷剤をちゃんぷるの体にあてて、冷房をガンガンにつけた。俺はスマホで2年前にちゃんぷるのことを想って作った曲「Stay」を流した。ちゃんぷる、俺がリビングでギター弾き出すといつも寝室に逃げていってたけど……。
しばらくして、あまり寝ていなかったからちゃんと眠れるようにアルコールをと思ってビールを飲んだのだけど、結局30分ほどしか眠れなかった。すぐに目が覚めてしまった。

朝、動物の火葬をしてくれる市営の戸塚斎場に受付時間になると同時に電話をしたのだけど、14日はもういっぱいで翌15日の11時からの予約になった。
結果、この1日がまた貴重な時間となった。

午前中、俺はかかりつけの病院に11日の会計と黄金町の病院に移動するときに借りたカーゴと毛布を返しに行った。診察の合間に診察室に入れてもらうと、主治医とサブの先生、数名のスタッフが揃ってくれた。俺は報告と今までのお礼をした。主治医の先生が言ってくれた。私は正直、もっと早く…って思ってました、だけどお二人が手作りごはん作って、ちゃんぷるちゃんもそれを食べて、ほんっとに素晴らしかった。って。ただでさえ泣いてんのに、そんなこと言われたら号泣だよ。
その後、花をたくさん、それと厳しい食事制限があったせいで食べられなかった好きだったオヤツをいくつか買って帰った。連れが6月14日の花を調べたらブルースターで花言葉は“幸福な愛”“信じあう心”だったからそれも欲しかったのだけど、なかった。

午後はうちの中が寒いからみんなでたくさん着込んで、DVDに保存してあるちゃんぷるの映像を観て笑ったり泣いたりして過ごした。みんなで行った旅行の時の走り回ってるちゃんぷるとくるみ、その後疲れて寝てる姿。連れがポツリと言った。この時に帰りたい。って。

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夕方、遺影写真を選んでファミマでプリント、それを入れる額を買いに。6月1日に撮った、とても18歳の老犬には見えないかわいい写真を選んだ。ついでに別の花屋でブルースターを探したら少しだけ置いてあったから、3本買って帰った。

4人で過ごす最後の夜、ずっとDVDやスマホに保存されてる動画や写真を見て、静かに過ごせた。冷房が寒かったけどとてもいい時間だった。

15日、朝、棺の中にオヤツ、写真、ぬいぐるみを入れて、花を飾った。くるみはその間、横でずっとお座りしてた。
ちゃんぷるはほんとにかわいかった。何度も何度も頬を撫でた。あの感触、ずっと忘れない。

発作を起こした前日10日の夜、俺はちゃんぷると小1時間、話をした。連れは仕事からまだ帰ってなくて、くるみはどこかで寝てた。
いっぺんに食べると消化出来なくてまた下痢になってしまうから、ちょっとだけ流動食を飲ませようとしたのだけれど、その時少したまに起こしてた軽いチック症状(ビクッとなる)があったから、抱っこした。
ソファの後ろの床に、ソファの背面にもたれて座って、ちゃんぷるはいつも通り俺の左手側に顔がくる横向きで膝の上に乗せて。最初はただ静かに抱えたおなかの辺りをなでていた。ちゃんぷるはそのうち落ち着いて、俺の胸に左の頬をぺったりとくっつけて、完全に全体重を預けてくれた。
たくさん話した。
「楽しかったなぁ、おもしろかったなぁ」
「いろんな所に行って、いろんなことしたよね。いろんなものを見て、いろんな道を歩いたよね」
「桜の下で写真を撮ったね。いつものつつじの前でも写真を撮ったね。5月の夕陽をたくさん見たよね。梅雨が来て、ちゃんぷるは19回目の夏が来て、俺は53回目の夏が来て。それから少し涼しくなって。また江ノ島に行きたいね。それで冬の始まりの日にちゃんぷるは19歳になって、それからまた春が来て、そしたらまた桜を見に行こうね」
「シャイなのに人が好きで、クールなのに甘えん坊で。ちょっとナイーブなのにけっこう悪ガキで。寂しがり屋なのにひとりになりたい時もあって。なんでも食べちゃう食いしん坊で」
「チワワなのに大きくて、トリミングなんて中型犬の料金だったし」
「ちゃんぷるはいつもお散歩隊長だったね。一番前を歩いて、行くところもちゃんぷるが決めてた。帰りたくない時は2時間半も歩いたりするからくるみがついていけなくて。それで帰り道は走るし。歩道橋の階段なんて一段片足ずつでひょいひょい駆けのぼるから俺はくるみを抱えて大変だったよ」
「16歳の時に検査に行った病院のお医者さんに空気を読めちゃう頭のいい子って褒められて。この子はまだまだ長生きしますよって言われて。俺は涙が出るほど嬉しくて。ねぇ、まだまだってどれくらい?まだまだだよね」
「18歳になった時に主治医の先生に誰もが憧れる18歳って言われたもんね」
「この部屋に引っ越してきた最初の日からずっといっしょに18年。ここはちゃんぷるの家だから」
「楽しかったな。幸せだったな。ありがとうな。ちゃんぷるがウチに来てくれて俺はほんとに幸せだったな。俺の人生はほんとに幸せだったな。やり直したいことなんて何一つない」
「ずっといっしょにいようね。ちゃんぷるはちゃんぷるのまま、俺は俺のまま、姿かたちが無くなったとしても、生まれ変わったりなんかしなくていいから、ちゃんぷるはちゃんぷるのまま、俺は俺のまま、ずっとずっといっしょにいようね」
って、静かに静かに、俺は時々笑いながら時々涙を流しながら、ちゃんぷるはただ俺に体を預けて、ふたりで小1時間、そんな話をたくさんしたんだ。
けど、病院で待機してる時に、この話を連れにしたら「私は、生まれ変わったら絶対見つけるからいつでも来てねって言っちゃたよ」と言ってた。
「ちゃんぷる、どうしようか迷っちゃわないかしら」って(笑)
いいんだよ、魂の話なんだから。

最期のとき。
診療室に呼ばれて、それまでと同じように酸素室の扉を開けて、ちゃんぷるを撫でて「がんばってるね」「えらいね」「そばにいるからね」って声をかけて、それまでと何も変わらずじゃあまた後でって感じで去ろうとした時、俺は何か違うって感じた。
えっ、息してない気がするって言いながら、慌てて扉に顔と手を突っ込んでちゃんぷるの体の下に手を入れた。鼓動がない。手を当てている場所が悪いのかと思って少しずらしてみた。動いてない。お腹をずっと見てたけど動いてない。やっぱり呼吸してない。めちゃくちゃ驚いてはいたのだけど、なぜかどこか静かな気持ちだった。
連れが先生を呼んだ。
数人の先生がすぐに来て、ちゃんぷるを診察台に移して、急いで取り付けられた心電図が波うたず、聴診器をあてた先生に「午前1時30分ちゃんぷるちゃんの心臓が止まってしまいました」って言われた。
俺たちが診療室に入ってから直前に確認しているので、ほんとに面会している時だと先生が説明していた。
誰も気がつかないくらい、俺も連れもその瞬間がいつだったのか分からなかったくらい、それくらい静かにちゃんぷるの心臓が止まった。

なんか不思議な感覚だった。
よく、旅立つとか、星になるとか、虹の橋を渡るとか、永眠するとか、そういうふうに言うけれど、そういう感じじゃなくて。
なにか分からないけど言葉で言えないけど、ちゃんぷるがふっと、俺の周りの空気に溶けたというか、世界に溶けたというか、溶けたっていうのとも違うんだけど、近い言葉を見つけるとしたらなんかそんな感じがして。
あぁ、そうかぁ。そういうことかぁ。そうなんだぁ。って思って。
もうそりゃ号泣なんだけど、連れとふたりでちゃんぷるを撫でて「がんばったね、がんばったね」「楽しかったね、幸せだったよ、ありがとうな」って言いながら、ちゃんぷるが楽になったっていう安心感と何かその瞬間に急に立ち上がった静謐な世界に包まれたような、そんな感じがしてた。

そして、後になって思った。そもそも、ちゃんぷるって名前。もちろん沖縄の言葉チャンプルーから取った訳だけど、チャンプルーって混ぜる、混ぜ合わせるっていう意味。主に「ゴーヤチャンプルー」なんていう料理に使われたりする言葉だけど、沖縄のいろいろなものが融合した文化を「チャンプルー文化」と言ったりする。
18年前、ちゃんぷるをウチに迎えることになった時、連れと名前どうしようかと相談して、その頃好きだった(今でも)沖縄の言葉から取ったらどうって話になって、どっちが言ったんかな「ちゃんぷる」って響きがかわいいよねって。当然、意味調べて“混ぜる”“融合する”……あっ、いいんじゃないって。
そうか、ちゃんぷる、空気なのか世界なのか、そんなことじゃない概念の外にあるものなのか、分からないけど、チャンプルーしたんだなぁって、そういうことなのかなって。

それはきっと永遠なんだ。

5月13日
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5月27日
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5月29日
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6月1日
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6月2日
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6月3日
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6年前からずっとお気に入りだったベッド。

6月4日
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病院からの帰り、車の中。小さい頃から使ってるバッグに入って。

6月5日
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6月6日
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6月7日
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6月8日
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鎌倉の眼科の駐車場。

6月9日
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大好きだったお散歩。最後はカートで。もらったばかりだったのに1回しか使えなかった。

6月10日
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星の王子さまのキツネ。どことなくちゃんぷると似ている気がして、ウチにはこのキツネのぬいぐるみがいくつもある。

6月11日
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入院した日の朝。この写真が残っていることが嬉しい。

6月16日
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2年前にちゃんぷるのことを想って作った曲。「Stay」

注)歌詞のあとに棺に納めたちゃんぷるの写真があります

「Stay」

夏の虹を探しながら
冬の星座を数えながら
どれくらいここにいられるだろう
どれくらい君といられるだろう

春の小鳥がさえずるように
秋の木洩れ日に触れるように
どれくらい愛を伝えただろう
どれくらい君に伝えただろう

星空まであと
ほんの数センチメートル
この手に届きそうな夜

永遠に夢でいい
一瞬の夢でいい
世界はまた移り
変わってゆくけど
せめて夜明けまで
このままでいい

過去も未来も
今この瞬間の中に

星空まであと
ほんの数センチメートル
この手に届きそうな夜

時が過ぎるほど
降りつもるセンチメンタル
繋いだ手をほどけない夜

永遠に夢でいい
一瞬の夢でいい
世界はまた移り
変わってゆくけど
せめて夜明けまで
このままでいい





6月15日
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