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短い夏 [Scene]

夏は短い。いつも。
だけど今年はいつもよりさらに短かった。

23日は神奈川県独自大会の決勝戦。いつもなら甲子園で決勝戦というくらいの日。
運よく仕事が休みだったから午前は軟式、午後は硬式、両方テレビで観た。
なかなか点が入らない軟式。0−0で延長タイブレーク。10回、慶應が2−0で桐蔭学園に勝ち。
軟式は普段ほとんど見ないのだけど(高校野球というより夏の甲子園が好きなので)軟式と硬式の決勝ダブルヘッダーだったせいで観れてよかった。軟式と硬式が同球場で決勝ダブルなんて無観客ならではのことかな?
そして硬式は、相模やっぱり強かったなぁ……。正直、7回まではこのまま相洋が初優勝するんじゃないかとワクワクしてた。けど8回9回で相模の底力みたな〜。
神奈川4天王と言われてるけど、ベスト8ベスト16、だいぶ差が縮まってきてるような。来年あたり楽しみだな。

毎年毎年、楽しみで仕方ない夏の甲子園は中止。選抜に選ばれていたチームでの交流試合が6日間、16試合のみ。いつもの夏の4日分。
それでも、これがなかなか楽しめた。初日の明徳ー鳥取城北から逆転サヨナラだったり。智弁と中京も見応えあった。去年の決勝と同じ組み合わせになった履正社と星稜の試合もあった。
良かったと思うチームは帯広農。健大高崎に負けるだろうと思っていたら(失礼)見事に勝利。このチーム、もしも普通のトーナメントだったら、一昨年の同じ農業高校の金足農とまではいかないけど、何年か前の秋田の能代商とか青森の聖愛みたいな小さな旋風を起こすようなそういう面白いチームになってたような気がする。1、2回戦を僅差でするすると勝ち上がり3回戦強豪校とめちゃくちゃいい試合して負けちゃうみたいな。
個人的には磐城ー国士舘が今年のベストゲームかな。4−3という俺が面白いと思うスコアのいい試合だった。ルーズベルトゲームより4−3または3−2くらいでのしのぎ合いっていうのが観ててドキドキするんだよねぇ。
磐城は春の選抜があったら監督だったはずの先生が転勤してしまって現在は別の監督に変わっているから、特例で前監督が試合前のシートノックが認められてた。高野連、たまには気が利く。

いつもみたいに約2週間、勝手に熱くなって盛り上がっているのと違って、ほんとにあっという間に終わってしまったから、毎年の甲子園ロスが今年はない。ないというか、夏の大会中止と決まった時に軽く甲子園ロスになったのが交流試合があって少し楽しめたというか。
だから、いつものような強烈な夏の終わり感がなくて、なんとなく夏終わっちゃったのかなぁ、って感じ。これじゃあ森山直太朗もココロに流れない。

今年の高校3年生はほんとに残念だったと思う。悔しかったと思う。悲しかったと思う。これは野球に限ったことじゃないのだろうけど。
今年行われた各県ごとの独自大会と交流試合は記録としてはどういう扱いになるのだろう。やっぱり別物の記録となってしまうのかな。
それでもこの一試合、この一球、この一瞬にかけるプレーはちゃんと誰かの記憶に残ると思う。

ただ観ているだけの、ただのファンとして無責任なこと言ってしまえば、今年も甲子園は熱かった。
けどやっぱり、短かったな。2020年の夏。
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8.15くじら号 [Acoustic]

15日、ONOchanソロ、くじら号「NO PEACE NO LIFE」ありがとうございました。
出演者、くじら号スタッフのみなさん、お疲れ様でした、ありがとうございました。

まずは14日。人生で最初の友達の命日。墓参り。

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塔婆に蝉の抜け殻が。一緒にセミやトンボを獲って遊んだ幼い日の真夏の記憶ばかり想い出す。この日も灼熱の太陽。暑い日だった。お墓は蝉時雨の中。年に一度、あの日と同じ真夏の午後に再会。

日本骨髄バンク

わずか11歳。白血病。それから38年も経った。38年も長く生きている。ふたりにあった運命というものが、どういうことなのだろうと考える。

そして15日。正午の甲子園にサイレンが鳴る。交流試合は去年の決勝と同じ組み合わせになった履正社と星稜。

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交流試合、なかなか面白い。勝っても負けてもこれで最後。どの試合も決勝戦かのような趣さえある。
とは言っても、普通にやれたんじゃないかなとも思う。子供たちはインタビューとかで、開催していただいて感謝しています、というようなことを必ず言うが、大人がその言葉に甘えてちゃいけないはず。夏の甲子園は野球をやっている多くの子供たちの夢だから。その夢を今年は失ってしまった訳だから。大人はそのことを考えるべきだと思う。それは野球に限ったことではなくて。

今年はちょうど終戦記念日に「NO PEACE NO LIFE」。ありがたいことに3回目からずっと出演させてもらっている。なかった年も何度かあるけど、今回で11回目。

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set list
①1971年のレコード
②麻のスカート
③このすばらしきせかい
④風になる時
⑤花火

普段のライヴであまりやらない曲ばかりのリストになった。普通の30分のライヴではなかなかリストに入れづらい。戦争が背景にあるような曲。決して楽しいという曲ではない。
「麻のスカート」「風になる時」なんて何年ぶりにやったのだろう。
それと戦争に関連してないけど歌いたかった「このすばらしきせかい」もかなり久々。「ハイビスカス」とどちらにしようか迷ったのだけど。
「ハイビスカス」にしたら全曲背景が戦争だったね。いや、でも「このすばらしきせかい」でよかったと思う。

30年前、本格的にバンドを始めた頃は所謂“反戦ソング”ってやつを作ってた。ちょうど湾岸危機があって「I Don't Like War」なんて。そのまま湾岸戦争になって「太陽のテリトリー」なんていう曲も作ったな。いや、いい曲でしたけどね。もう歌えないな。やっぱり歌詞が……。幼稚で。

変わったのは、たぶん「ハイビスカス」からなんだよね。戦後50年の年だから25年前の終戦記念日。いつもと同じように墓参りに行くために実家に寄った時に、テレビのワイドショー的な番組で戦後50年終戦の日特集みたいなのをやっていて、それを見ていた母親が「あれから50年も経ったんだねぇ」と。幼い弟妹の手をひいて焼夷弾が雨のように降る空襲の下を逃げたという話をして泣いていた。
なんかその時、どこかの三流コラムみたいな反戦ソングじゃなくて、戦争を扱うならそれを背景にした人間のドラマを描きたいなと思ったんだよね。で、最初は「ヒコーキ雲」っていう詩を書いて、それが発展して「ハイビスカス」になった。
たぶんそこから自分の歌詞のスタイルが大きく変わったと思う。ちょうどその頃、ドリアンさんの叫ぶ詩人の会の影響もそうとう受けてるんだけど。

だから今でも歌っている戦争を背景にした曲は、別に反戦なんてことは特に言ってない。だいたい俺、反戦主義者でも平和主義者でもないしさ。
「風になる時」なんて、もしかしたら特攻賛美なんていうふうに捉えられるかもしれない曲だしね。そういうことじゃねぇけど。

この日は主催の渡辺伸一さんはじめ全出演者ほんとに意味のある、いい歌を歌っていた。観ていて、もう何度か泣きそうになる瞬間があったよねぇ(笑)。

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ライヴが終わってからも楽しかった。楽しいだけじゃなくて有意義な話もできたし。
そんな訳で最後の一駅を歩く覚悟で、電車で帰れるギリギリまでいちゃいました。
最後の一駅分、ギター背負ってるし、暑いし、酔ってるし、ラバーソールだし(笑)普通なら30分弱くらいだけど45分くらいかけて歩いた。まぁ、それも楽しかったな。

そして今日16日は、靖国神社へ。連れもたまたま休みだったから、珍しく一緒に行ってきた。

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終戦記念日の前後、ライヴの日程にもよるのだけど、毎年恒例の夏の3日間。俺の夏休みはだいたいこんな感じ。
ん〜、やっぱり甲子園、出来たんじゃないのかなぁ。明日で終わりなんて寂しすぎる……。
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