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ちゃんぷるの誕生日 [ちゃんぷる]
12月1日はちゃんぷるの誕生日。
11月29日30日、伊豆旅行。
ほんとは9月に行く予定だったのだけど、日程が母親が亡くなる2日前だったから延期してこの日に。
ちゃんぷるは4回目、くるみは3回目の伊豆。
テディベアミュージアム。
企画展でトトロのぬいぐるみ展をやっていてネコバスに乗った。
宿はいつものはんなり伊豆高原、部屋は松風。
午後3時過ぎに着いて、温泉に入って、昼寝して、のんびり。
豪華な食事の後は用意してもらっておいたちゃんぷるのバースデイケーキ。
やっぱり泣いた。でも、ただ悲しいだけの涙ではなくなった気がした。
ケーキおいしかった。くるみも喜んで食べた。
翌日、朝食の後はドッグランで少し遊んで、もう一度温泉に入って、チェックアウトの11時までのんびり。
愛犬の駅。
城ヶ崎。初めて来た時、ちゃんぷるは吊り橋を張り切って渡り始めたのだけど、途中で下を見て腰がひけてたのを思い出した。いろんなところにちゃんぷるの面影がある。
オーシャンビューの神祇大社。くるみのお守りを買ったらその場で祈祷してくれた。
大室山。強風のせいでリフトが運休。ちゃんぷるもくるみもいつもここの絶景を楽しんで散歩してたから登れなくて残念。
麓のさくらの里で。ここはくるみは初めて。
この後、俺は財布を落として大慌て。車で10分ほど走ったところで気付いて慌てて戻ったら駐車場に落ちてた。しかも自分の車に轢かれたタイヤの跡が……。
帰りに寄った道の駅伊豆のへそにあったいちご専門店でソフトクリーム。くるみは食べられません。
12月1日。
HAPPY BIRTHDAY!
11月29日30日、伊豆旅行。
ほんとは9月に行く予定だったのだけど、日程が母親が亡くなる2日前だったから延期してこの日に。
ちゃんぷるは4回目、くるみは3回目の伊豆。
テディベアミュージアム。
企画展でトトロのぬいぐるみ展をやっていてネコバスに乗った。
宿はいつものはんなり伊豆高原、部屋は松風。
午後3時過ぎに着いて、温泉に入って、昼寝して、のんびり。
豪華な食事の後は用意してもらっておいたちゃんぷるのバースデイケーキ。
やっぱり泣いた。でも、ただ悲しいだけの涙ではなくなった気がした。
ケーキおいしかった。くるみも喜んで食べた。
翌日、朝食の後はドッグランで少し遊んで、もう一度温泉に入って、チェックアウトの11時までのんびり。
愛犬の駅。
城ヶ崎。初めて来た時、ちゃんぷるは吊り橋を張り切って渡り始めたのだけど、途中で下を見て腰がひけてたのを思い出した。いろんなところにちゃんぷるの面影がある。
オーシャンビューの神祇大社。くるみのお守りを買ったらその場で祈祷してくれた。
大室山。強風のせいでリフトが運休。ちゃんぷるもくるみもいつもここの絶景を楽しんで散歩してたから登れなくて残念。
麓のさくらの里で。ここはくるみは初めて。
この後、俺は財布を落として大慌て。車で10分ほど走ったところで気付いて慌てて戻ったら駐車場に落ちてた。しかも自分の車に轢かれたタイヤの跡が……。
帰りに寄った道の駅伊豆のへそにあったいちご専門店でソフトクリーム。くるみは食べられません。
12月1日。
HAPPY BIRTHDAY!
2023年7〜11月 [ちゃんぷる]
7月2日
7月6日
ちゃんぷると一緒によく歩いた夕焼けの道。
7月14日
8月4日
8月11日
8月19日
9月9日
9月12日
9月18日
くるみはちゃんぷるのベッドには絶対に乗らない。廊下を歩く時も避けていく。
ちゃんぷるがいた頃は勝手に乗っかって、ちゃんぷるにしょっちゅう怒られていたのに。
9月20日
ちゃんぷるにお似合いの服を着せた。
9月25日
9月27日
10月8日
4年前と同じようにちゃんぷるとくるみもジャージを着て応援したんだけどな。
10月9日
10月10日
10月15日
10月18日
10月21日
10月22日
10月26日
10月28日
11月1日
11月3日
11月8日
11月14日
11月15日
11月16日
小春日。
11月19日
11月20日
7月6日
ちゃんぷると一緒によく歩いた夕焼けの道。
7月14日
8月4日
8月11日
8月19日
9月9日
9月12日
9月18日
くるみはちゃんぷるのベッドには絶対に乗らない。廊下を歩く時も避けていく。
ちゃんぷるがいた頃は勝手に乗っかって、ちゃんぷるにしょっちゅう怒られていたのに。
9月20日
ちゃんぷるにお似合いの服を着せた。
9月25日
9月27日
10月8日
4年前と同じようにちゃんぷるとくるみもジャージを着て応援したんだけどな。
10月9日
10月10日
10月15日
10月18日
10月21日
10月22日
10月26日
10月28日
11月1日
11月3日
11月8日
11月14日
11月15日
11月16日
小春日。
11月19日
11月20日
くるみ13歳 [ちゃんぷる]
6月13日、くるみ13歳の誕生日。
ちゃんぷるの病院に付きっきりで、誕生日なのに寂しい思いをさせてしまったかも。
でも、くるみもちゃんと分かってる。
くるみの誕生日が過ぎた14日午前3時ごろ、ちゃんぷるが帰ってきたとき、くるみも一緒に泣いたから。
13日の夜、一度帰宅した時にアニコムから送られてきたバースデイカードと一緒に写真を撮った。
7月4日、お祝いをしていなかったからタルトを買ってきた。
いつものように美味しそうに食べるくるみを見て、動画を撮りながら、やっぱり寂しくて泣いた。
ちゃんぷるの病院に付きっきりで、誕生日なのに寂しい思いをさせてしまったかも。
でも、くるみもちゃんと分かってる。
くるみの誕生日が過ぎた14日午前3時ごろ、ちゃんぷるが帰ってきたとき、くるみも一緒に泣いたから。
13日の夜、一度帰宅した時にアニコムから送られてきたバースデイカードと一緒に写真を撮った。
7月4日、お祝いをしていなかったからタルトを買ってきた。
いつものように美味しそうに食べるくるみを見て、動画を撮りながら、やっぱり寂しくて泣いた。
2023年4〜6月 [ちゃんぷる]
4月1日
ちゃんぷるとふたりで新横浜公園の桜を見に。
くるもは別で散歩。
4月2日
4月7日
4月10日
4月11日
4月14日
4月16日
4月18日
4月19日
4月21日
4月24日
このツツジの前も毎年定番の撮影スポット。
4月27日
4月28日
5月8日
5月12日
5月19日
5月21日
6月4日
6月7日
6月15日
くるちゃん、さびしいね……
6月22日
6月29日
6月30日
ちゃんぷるとふたりで新横浜公園の桜を見に。
くるもは別で散歩。
4月2日
4月7日
4月10日
4月11日
4月14日
4月16日
4月18日
4月19日
4月21日
4月24日
このツツジの前も毎年定番の撮影スポット。
4月27日
4月28日
5月8日
5月12日
5月19日
5月21日
6月4日
6月7日
6月15日
くるちゃん、さびしいね……
6月22日
6月29日
6月30日
2023年1〜3月 [ちゃんぷる]
1月1日
17時ごろにいつもの篠原神社に初詣。
1月2日
1月14日
1月22日
1月30日
1月31日
2月1日
2月4日
2月8日
2月18日
2月25日
3月1日
横浜にもある河津桜を見にいった。
よそのワンコにわんわん吠えて口を押さえられてるくるみ。
3月8日
3月9日
ちゃんぷるの鎌倉の眼科にみんなで行った。
待ってる間にくるみは近くのお寺に行ってみた。
ちゃんぷるは病院でも笑顔。
3月12日
3月14日
3月15日
3月19日
3月20日
3月22日
3月24日
小雨が降っていたけど、岸根公園の桜を見に。
みんなで行ける日がこの日しかなかったから。
3月25日
ちゃんぷるの足形をとった。キーホルダー用。
3月27日
3月29日
17時ごろにいつもの篠原神社に初詣。
1月2日
1月14日
1月22日
1月30日
1月31日
2月1日
2月4日
2月8日
2月18日
2月25日
3月1日
横浜にもある河津桜を見にいった。
よそのワンコにわんわん吠えて口を押さえられてるくるみ。
3月8日
3月9日
ちゃんぷるの鎌倉の眼科にみんなで行った。
待ってる間にくるみは近くのお寺に行ってみた。
ちゃんぷるは病院でも笑顔。
3月12日
3月14日
3月15日
3月19日
3月20日
3月22日
3月24日
小雨が降っていたけど、岸根公園の桜を見に。
みんなで行ける日がこの日しかなかったから。
3月25日
ちゃんぷるの足形をとった。キーホルダー用。
3月27日
3月29日
2023年6月14日1時30分 [ちゃんぷる]
6月14日 水曜日 午前1時30分
ちゃんぷるが永遠になった。
2004年12月1日生まれ。18歳6ヶ月と14日。
出会ったのは2005年2月13日。
共に暮らし始めた2005年3月1日から18年3ヶ月と14日。
ちゃんぷると共に生きて、本当に幸せだった。
もうこのブログは去年末のちゃんぷるの18歳の誕生日を最後に更新するつもりはなかった。いつか来る最期の日のことを考えたら、幸せな誕生日を最後の記事にしておきたいと思っていたから。そのうちブログを本にできるサービスで、これまで同様、まだ本にしていない2020年からのちゃんぷるとくるみの記事をまとめて、ついでに2023年の1月からくるみの誕生日の6月13日までの写真を掲載して本にしたら、ブログはひっそりと閉じてしまおうと思っていた。
だけど、いつかが今になってしまって、この日のことを憶えていたくて、この日の気持ちを忘れたくなくて、数年後の自分のために書いておこうと思った。
書きながらきっと何度も泣くだろう。これまでの人生で感じたことのない痛みだ。つらくて悲しくて寂しくて。
それでも書いて残しておこうと思った。
ちゃんぷるは最後まで本当にがんばってくれた。4年くらい前から腎臓、心臓、胆嚢の薬を服用していた。3月に体調を崩して夜間救急に行ったのだけど、それ以降は血液検査で腎臓病の数値がかなり高く、血中の尿素窒素の値は計測不能というところまでなっていた。ちゃんぷるはそんな状態で自分の体の限界まで、全ての力を使って、少しずつ少しずつ俺に覚悟する時間を与えてくれた。だけど、そんな覚悟は何の役にも立たなかった。ちゃんぷるを撫でたくて、ちゃんぷるに触りたくて、今も涙が出る。
6月11日 15:45ごろ痙攣の発作を起こしてしまい、急いで病院へ。約3時間処置をしてもらったけれど、その後にまた発作が出てしまったから黄金町の24時間体制の救急病院を紹介してもらい、そこに移った。
そこで最初に診てくれた先生は血液検査の数値を見て、犬でこんな数値は見たことがないと言っていた。ちゃんぷるはほんとに強いやつなんだ。
発作のせいで、脳障害になってしまう可能性もあると言われた。もし心臓が止まった場合の心臓マッサージなど強い延命は希望しないと伝えた。とにかく、自宅で看病できるくらいにまで回復するのを目標に治療しましょうと。
その晩、俺はそのまま病院に残り待合室で過ごした。仕事帰りだった連れは一回帰って翌早朝にきた。
12日、ちゃんぷるは前日よりも普通の顔になってた。診療室の酸素室にいるから、そこにずっといる訳にはいかず、数時間おきに面会させてもらっていた。間違いなく俺たちが来たことが分かって反応してた。目だけしか動かなかったのが、起きあがろうとしたり、キュンキュンないて帰りたいって言ったり。酸素室の扉は開けさせてもらえるから、たくさん撫でて声をかけて、顔を突っ込んで頬ずりをして。
自分たちが倒れるわけにはいかないから、近くのコンビニや弁当屋でちゃんと食べるように気をつけてた。
12日が終わって深夜0時ごろふたりとも家に帰った。俺はシャワーを浴びて3時間ほど眠り始発で病院に戻った。連れはくるみの朝ごはん等の世話をしてから病院に来た。13日はくるみの13歳の誕生日。
13日はよく晴れて暑かった。ちゃんぷるは栄養を摂るために鼻にチューブをつけられた。昼前に血液検査をしたけれど、ほとんど状況は変わらず。この日は19時過ぎにふたりとも家に帰った。
腎臓の病気は食べるのがつらくて、あまり食べることが出来なくなってしまう。でもちゃんぷるは波はあったけど、5月の3週目ごろまでは手作りのごはんを、完食できなくても食べてくれていた。薬もちゃんと飲んでいた。
その後は流動食がメインになったけど、市販の柔らかい介護期用のフードも食べてくれていた。6月3日まで。
6月3日、俺はライヴがあった。その日は連れが泊まりの仕事が入ってしまって朝から家に居なかったから、俺は午後15時すぎからのリハーサルが終わってすぐ家に帰り、本番の1時間ほど前に戻った。ちゃんぷるは、朝昼ちゃんと食べてくれて、わりと元気で。夜は義理の妹が仕事帰りに様子を見に来てくれていたんだけど、俺はライヴが終わって打ち上げの乾杯だけして挨拶をしてすぐに帰った。夜のごはんも残したけど食べた。
このライヴは、俺のバンドでの最後のライヴだったから、ちゃんぷるはがんばってくれてたんだ。俺が心おきなくライヴできるように、元気な姿を見せてくれていた。この日までは。
次の日、4日の朝9時に点滴をしに病院に行って、帰ってきてから昼に下痢をしてしまって、それから体調を崩して流動食しか食べられなくなった。流動食もシリンジで少しずつ流し込むような感じで。病気のせいでほんとに食べるのがつらいらしく、食べさせるこっちもつらかった。
その後、6月9日、それまでよちよち歩きでも自力で歩けていたのについに立つことが出来なくなってしまった。後ろ足が膝を曲げられないし、力が入らない。
8日までは、たまに滑って尻もちをついてもがんばって立ち上がり、自分で水を飲みに行ったり、トイレに行ったり出来てた。
8日は俺たち夫婦の結婚記念日だったんだ。こんな状況だから別に何もしなかったけれど、ちゃんぷるはきっとちゃんと分かってて、安心させようとしてくれてた。これ以上ないお祝いをしてくれた。家族の大事な日に心配をかけないように、体はつらいはずなのに、自分でちゃんと出来るところを見せてくれてた。
そして、11日の発作からの2日間とちょっと。いつもの病院から24時間体制の病院に移動して入院しての2日間。いつどうなるか分からない、大きな変化はいい方にも悪い方にもなくずっと低空飛行が続いている感じ、と言われての2日間。
13日の夕方、11日にかかりつけの病院で今日が山だと思うと言われてここにきたけどその状況は変わらないのか、ということをもう一度先生に聞いたのだが、山がずっと続いているという答えだった。これが続くとどうなるのかと聞くと、あとは心臓はもちろん体力がどこまで続くかっていうことになるということだった。
そんなずっとつらい中で2日間もがんばってくれてた。
その間のほとんどの時間を病院または車の中で連れとふたりで過ごした。これは最後にちゃんぷるがくれた時間だ。
最近、心配と不安でお互いちょっとギスギスしてたところがあった。ちゃんぷるのことで意見が合わないと言葉がキツくなるし、怒鳴り合いに近いような喧嘩もしてしまっていた。
だから、ふたりで過ごす時間をちゃんぷるが与えてくれたんだな。アイツら仲良くなるようにって、その時間をくれたんだな。ただひたすら、ちゃんぷるのことを祈るようにふたりで考え、面会の後には「昨日より普通の顔になってたよね」「ちゃんと分かって反応してたよね」って話したりして。
13日、19時前に面会した時、ちゃんぷるは走る姿を見せてくれた。ふたりで撫でるとうんうんと頷いて、足をバタバタとさせた。何度も。また発作が出ちゃったのかと一瞬心配になったけど、すぐに違うって分かった。ちゃんぷるは走るのが大好きだったから、その姿を見せてくれたんだ。
俺たちはそれを見て、嬉しくて、少し安心して、くるみの世話と自分たちの風呂や着替えのために一回家に帰った。病院には夜中くらいに戻ると伝えた。
その日くるみの13歳の誕生日だったけど、お祝いはちゃんぷるが帰ってきてからということで、動物保険会社のアニコムが送ってきたバースデイカードといっしょに写真だけ撮った。
0時を少し過ぎてから、飲み物と朝に少し食べるつもりでクラッカー、それと病院の待合室が冷房で寒いから上着を用意して家を出た。マンションの立体駐車場で車に乗る直前に病院から電話があって、急患がたくさん来てるから今来てもすぐに案内できないかもと連絡があった。でも、もう駐車場まで降りてるし、病院に行っておきたいからそのまま出かけた。
病院に0時30分すぎに着いたら、車は次々くるし、待合室はいっぱいだしで忙しそうだった。受付に行き、到着していることを伝えて、容体は特に変わりなく安定していると聞いた。
この分じゃしばらく面会は無理だろうと思い、連れがアイス食べようというので、近くのコンビニではなく、川を渡って少しだけ離れたセブンイレブンに行った。俺はフローズンヨーグルトのバー、連れはソフトクリームを買った。病院に帰る途中の大岡川の橋の上でふたりで食べた。
あの夜あの時、清らかな風が吹いてた。美しい夜だった。穏やかな時間だった。
あの時間、あの景色、あの空気、一生忘れることはないだろう。ちゃんぷるがくれた、時。
食べ終わってちょうど車に戻った時、連絡が来て面会できると。
そして、午前1時30分、ちゃんぷるは俺たちに会って……。
くるみの誕生日の6月13日が過ぎるのをちゃんと待って、他の急患の動物たちの治療が落ち着くのを待って、俺たちが面会に来るのを待って……。
ほんとにがんばった。どの先生たちも口を揃えて言ってた。
3月に少し体調を崩した時点で、いつ何が起こってもおかしくない状態、ごはんを食べてるだけでもすごいことだと思ってください、と言われて、それから3ヶ月。
ちゃんと食べたし、ゆっくりだけど歩いて散歩にも行ったし、自分で水も飲んで、トイレもして、かわいいかわいい笑顔をたくさんたくさん見せてくれて。
歩けなくなって、オムツなんてするのが嫌だったのかな、俺たちの手を煩わせるのが嫌だったのかな。そんなこと思わずに、思いっきり煩わせてくれたらよかったのに。
ありがとうをいくつ言っても足りないよ。
診療室から小さな診察室へ案内されて、そこで体をきれいにしてもらっているちゃんぷるを待ってた。そりゃもうずっと泣いてた。
2:18にペット見守りカメラのファーボから通知がスマホに届いた。動きがあると15秒間映像が録画されて通知が届く。
アプリを開いて生の映像を見るとくるみがいつもちゃんぷるがいたベッドのある場所の横で吠えてその後そこに座って佇んでいた。そこはちゃんぷるの居場所だからくるみはその場所に留まることはほとんどない。あぁ、ちゃんぷる、くるみに会いに行ったんだなぁって。
段ボールの棺に入れてもらったちゃんぷるを受け取って帰る時、看護士さんに、パパとママが来ると穏やかな表情になるねって話してたんですよと言われた。家で最期を迎えることは叶わなかったけれど、その時に一緒にいられてよかった。
家に着いたのは午前3時ごろだっただろうか。棺のふたを開け、くるみを呼んでちゃんぷるを囲んだ。そしたら、くるみがスピースピー言って泣いてた。涙がひとつポロッと。普段は涙がぜんぜん出ない子なのに。ちゃんと分かるんだな。それを見てまた3人で泣いた。
棺の周りに簡単にお供えをして、傷まないように保冷剤をちゃんぷるの体にあてて、冷房をガンガンにつけた。俺はスマホで2年前にちゃんぷるのことを想って作った曲「Stay」を流した。ちゃんぷる、俺がリビングでギター弾き出すといつも寝室に逃げていってたけど……。
しばらくして、あまり寝ていなかったからちゃんと眠れるようにアルコールをと思ってビールを飲んだのだけど、結局30分ほどしか眠れなかった。すぐに目が覚めてしまった。
朝、動物の火葬をしてくれる市営の戸塚斎場に受付時間になると同時に電話をしたのだけど、14日はもういっぱいで翌15日の11時からの予約になった。
結果、この1日がまた貴重な時間となった。
午前中、俺はかかりつけの病院に11日の会計と黄金町の病院に移動するときに借りたカーゴと毛布を返しに行った。診察の合間に診察室に入れてもらうと、主治医とサブの先生、数名のスタッフが揃ってくれた。俺は報告と今までのお礼をした。主治医の先生が言ってくれた。私は正直、もっと早く…って思ってました、だけどお二人が手作りごはん作って、ちゃんぷるちゃんもそれを食べて、ほんっとに素晴らしかった。って。ただでさえ泣いてんのに、そんなこと言われたら号泣だよ。
その後、花をたくさん、それと厳しい食事制限があったせいで食べられなかった好きだったオヤツをいくつか買って帰った。連れが6月14日の花を調べたらブルースターで花言葉は“幸福な愛”“信じあう心”だったからそれも欲しかったのだけど、なかった。
午後はうちの中が寒いからみんなでたくさん着込んで、DVDに保存してあるちゃんぷるの映像を観て笑ったり泣いたりして過ごした。みんなで行った旅行の時の走り回ってるちゃんぷるとくるみ、その後疲れて寝てる姿。連れがポツリと言った。この時に帰りたい。って。
夕方、遺影写真を選んでファミマでプリント、それを入れる額を買いに。6月1日に撮った、とても18歳の老犬には見えないかわいい写真を選んだ。ついでに別の花屋でブルースターを探したら少しだけ置いてあったから、3本買って帰った。
4人で過ごす最後の夜、ずっとDVDやスマホに保存されてる動画や写真を見て、静かに過ごせた。冷房が寒かったけどとてもいい時間だった。
15日、朝、棺の中にオヤツ、写真、ぬいぐるみを入れて、花を飾った。くるみはその間、横でずっとお座りしてた。
ちゃんぷるはほんとにかわいかった。何度も何度も頬を撫でた。あの感触、ずっと忘れない。
発作を起こした前日10日の夜、俺はちゃんぷると小1時間、話をした。連れは仕事からまだ帰ってなくて、くるみはどこかで寝てた。
いっぺんに食べると消化出来なくてまた下痢になってしまうから、ちょっとだけ流動食を飲ませようとしたのだけれど、その時少したまに起こしてた軽いチック症状(ビクッとなる)があったから、抱っこした。
ソファの後ろの床に、ソファの背面にもたれて座って、ちゃんぷるはいつも通り俺の左手側に顔がくる横向きで膝の上に乗せて。最初はただ静かに抱えたおなかの辺りをなでていた。ちゃんぷるはそのうち落ち着いて、俺の胸に左の頬をぺったりとくっつけて、完全に全体重を預けてくれた。
たくさん話した。
「楽しかったなぁ、おもしろかったなぁ」
「いろんな所に行って、いろんなことしたよね。いろんなものを見て、いろんな道を歩いたよね」
「桜の下で写真を撮ったね。いつものつつじの前でも写真を撮ったね。5月の夕陽をたくさん見たよね。梅雨が来て、ちゃんぷるは19回目の夏が来て、俺は53回目の夏が来て。それから少し涼しくなって。また江ノ島に行きたいね。それで冬の始まりの日にちゃんぷるは19歳になって、それからまた春が来て、そしたらまた桜を見に行こうね」
「シャイなのに人が好きで、クールなのに甘えん坊で。ちょっとナイーブなのにけっこう悪ガキで。寂しがり屋なのにひとりになりたい時もあって。なんでも食べちゃう食いしん坊で」
「チワワなのに大きくて、トリミングなんて中型犬の料金だったし」
「ちゃんぷるはいつもお散歩隊長だったね。一番前を歩いて、行くところもちゃんぷるが決めてた。帰りたくない時は2時間半も歩いたりするからくるみがついていけなくて。それで帰り道は走るし。歩道橋の階段なんて一段片足ずつでひょいひょい駆けのぼるから俺はくるみを抱えて大変だったよ」
「16歳の時に検査に行った病院のお医者さんに空気を読めちゃう頭のいい子って褒められて。この子はまだまだ長生きしますよって言われて。俺は涙が出るほど嬉しくて。ねぇ、まだまだってどれくらい?まだまだだよね」
「18歳になった時に主治医の先生に誰もが憧れる18歳って言われたもんね」
「この部屋に引っ越してきた最初の日からずっといっしょに18年。ここはちゃんぷるの家だから」
「楽しかったな。幸せだったな。ありがとうな。ちゃんぷるがウチに来てくれて俺はほんとに幸せだったな。俺の人生はほんとに幸せだったな。やり直したいことなんて何一つない」
「ずっといっしょにいようね。ちゃんぷるはちゃんぷるのまま、俺は俺のまま、姿かたちが無くなったとしても、生まれ変わったりなんかしなくていいから、ちゃんぷるはちゃんぷるのまま、俺は俺のまま、ずっとずっといっしょにいようね」
って、静かに静かに、俺は時々笑いながら時々涙を流しながら、ちゃんぷるはただ俺に体を預けて、ふたりで小1時間、そんな話をたくさんしたんだ。
けど、病院で待機してる時に、この話を連れにしたら「私は、生まれ変わったら絶対見つけるからいつでも来てねって言っちゃたよ」と言ってた。
「ちゃんぷる、どうしようか迷っちゃわないかしら」って(笑)
いいんだよ、魂の話なんだから。
最期のとき。
診療室に呼ばれて、それまでと同じように酸素室の扉を開けて、ちゃんぷるを撫でて「がんばってるね」「えらいね」「そばにいるからね」って声をかけて、それまでと何も変わらずじゃあまた後でって感じで去ろうとした時、俺は何か違うって感じた。
えっ、息してない気がするって言いながら、慌てて扉に顔と手を突っ込んでちゃんぷるの体の下に手を入れた。鼓動がない。手を当てている場所が悪いのかと思って少しずらしてみた。動いてない。お腹をずっと見てたけど動いてない。やっぱり呼吸してない。めちゃくちゃ驚いてはいたのだけど、なぜかどこか静かな気持ちだった。
連れが先生を呼んだ。
数人の先生がすぐに来て、ちゃんぷるを診察台に移して、急いで取り付けられた心電図が波うたず、聴診器をあてた先生に「午前1時30分ちゃんぷるちゃんの心臓が止まってしまいました」って言われた。
俺たちが診療室に入ってから直前に確認しているので、ほんとに面会している時だと先生が説明していた。
誰も気がつかないくらい、俺も連れもその瞬間がいつだったのか分からなかったくらい、それくらい静かにちゃんぷるの心臓が止まった。
なんか不思議な感覚だった。
よく、旅立つとか、星になるとか、虹の橋を渡るとか、永眠するとか、そういうふうに言うけれど、そういう感じじゃなくて。
なにか分からないけど言葉で言えないけど、ちゃんぷるがふっと、俺の周りの空気に溶けたというか、世界に溶けたというか、溶けたっていうのとも違うんだけど、近い言葉を見つけるとしたらなんかそんな感じがして。
あぁ、そうかぁ。そういうことかぁ。そうなんだぁ。って思って。
もうそりゃ号泣なんだけど、連れとふたりでちゃんぷるを撫でて「がんばったね、がんばったね」「楽しかったね、幸せだったよ、ありがとうな」って言いながら、ちゃんぷるが楽になったっていう安心感と何かその瞬間に急に立ち上がった静謐な世界に包まれたような、そんな感じがしてた。
そして、後になって思った。そもそも、ちゃんぷるって名前。もちろん沖縄の言葉チャンプルーから取った訳だけど、チャンプルーって混ぜる、混ぜ合わせるっていう意味。主に「ゴーヤチャンプルー」なんていう料理に使われたりする言葉だけど、沖縄のいろいろなものが融合した文化を「チャンプルー文化」と言ったりする。
18年前、ちゃんぷるをウチに迎えることになった時、連れと名前どうしようかと相談して、その頃好きだった(今でも)沖縄の言葉から取ったらどうって話になって、どっちが言ったんかな「ちゃんぷる」って響きがかわいいよねって。当然、意味調べて“混ぜる”“融合する”……あっ、いいんじゃないって。
そうか、ちゃんぷる、空気なのか世界なのか、そんなことじゃない概念の外にあるものなのか、分からないけど、チャンプルーしたんだなぁって、そういうことなのかなって。
それはきっと永遠なんだ。
5月13日
5月27日
5月29日
6月1日
6月2日
6月3日
6年前からずっとお気に入りだったベッド。
6月4日
病院からの帰り、車の中。小さい頃から使ってるバッグに入って。
6月5日
6月6日
6月7日
6月8日
鎌倉の眼科の駐車場。
6月9日
大好きだったお散歩。最後はカートで。もらったばかりだったのに1回しか使えなかった。
6月10日
星の王子さまのキツネ。どことなくちゃんぷると似ている気がして、ウチにはこのキツネのぬいぐるみがいくつもある。
6月11日
入院した日の朝。この写真が残っていることが嬉しい。
6月16日
2年前にちゃんぷるのことを想って作った曲。「Stay」
注)歌詞のあとに棺に納めたちゃんぷるの写真があります
「Stay」
夏の虹を探しながら
冬の星座を数えながら
どれくらいここにいられるだろう
どれくらい君といられるだろう
春の小鳥がさえずるように
秋の木洩れ日に触れるように
どれくらい愛を伝えただろう
どれくらい君に伝えただろう
星空まであと
ほんの数センチメートル
この手に届きそうな夜
永遠に夢でいい
一瞬の夢でいい
世界はまた移り
変わってゆくけど
せめて夜明けまで
このままでいい
過去も未来も
今この瞬間の中に
星空まであと
ほんの数センチメートル
この手に届きそうな夜
時が過ぎるほど
降りつもるセンチメンタル
繋いだ手をほどけない夜
永遠に夢でいい
一瞬の夢でいい
世界はまた移り
変わってゆくけど
せめて夜明けまで
このままでいい
6月15日
ちゃんぷるが永遠になった。
2004年12月1日生まれ。18歳6ヶ月と14日。
出会ったのは2005年2月13日。
共に暮らし始めた2005年3月1日から18年3ヶ月と14日。
ちゃんぷると共に生きて、本当に幸せだった。
もうこのブログは去年末のちゃんぷるの18歳の誕生日を最後に更新するつもりはなかった。いつか来る最期の日のことを考えたら、幸せな誕生日を最後の記事にしておきたいと思っていたから。そのうちブログを本にできるサービスで、これまで同様、まだ本にしていない2020年からのちゃんぷるとくるみの記事をまとめて、ついでに2023年の1月からくるみの誕生日の6月13日までの写真を掲載して本にしたら、ブログはひっそりと閉じてしまおうと思っていた。
だけど、いつかが今になってしまって、この日のことを憶えていたくて、この日の気持ちを忘れたくなくて、数年後の自分のために書いておこうと思った。
書きながらきっと何度も泣くだろう。これまでの人生で感じたことのない痛みだ。つらくて悲しくて寂しくて。
それでも書いて残しておこうと思った。
ちゃんぷるは最後まで本当にがんばってくれた。4年くらい前から腎臓、心臓、胆嚢の薬を服用していた。3月に体調を崩して夜間救急に行ったのだけど、それ以降は血液検査で腎臓病の数値がかなり高く、血中の尿素窒素の値は計測不能というところまでなっていた。ちゃんぷるはそんな状態で自分の体の限界まで、全ての力を使って、少しずつ少しずつ俺に覚悟する時間を与えてくれた。だけど、そんな覚悟は何の役にも立たなかった。ちゃんぷるを撫でたくて、ちゃんぷるに触りたくて、今も涙が出る。
6月11日 15:45ごろ痙攣の発作を起こしてしまい、急いで病院へ。約3時間処置をしてもらったけれど、その後にまた発作が出てしまったから黄金町の24時間体制の救急病院を紹介してもらい、そこに移った。
そこで最初に診てくれた先生は血液検査の数値を見て、犬でこんな数値は見たことがないと言っていた。ちゃんぷるはほんとに強いやつなんだ。
発作のせいで、脳障害になってしまう可能性もあると言われた。もし心臓が止まった場合の心臓マッサージなど強い延命は希望しないと伝えた。とにかく、自宅で看病できるくらいにまで回復するのを目標に治療しましょうと。
その晩、俺はそのまま病院に残り待合室で過ごした。仕事帰りだった連れは一回帰って翌早朝にきた。
12日、ちゃんぷるは前日よりも普通の顔になってた。診療室の酸素室にいるから、そこにずっといる訳にはいかず、数時間おきに面会させてもらっていた。間違いなく俺たちが来たことが分かって反応してた。目だけしか動かなかったのが、起きあがろうとしたり、キュンキュンないて帰りたいって言ったり。酸素室の扉は開けさせてもらえるから、たくさん撫でて声をかけて、顔を突っ込んで頬ずりをして。
自分たちが倒れるわけにはいかないから、近くのコンビニや弁当屋でちゃんと食べるように気をつけてた。
12日が終わって深夜0時ごろふたりとも家に帰った。俺はシャワーを浴びて3時間ほど眠り始発で病院に戻った。連れはくるみの朝ごはん等の世話をしてから病院に来た。13日はくるみの13歳の誕生日。
13日はよく晴れて暑かった。ちゃんぷるは栄養を摂るために鼻にチューブをつけられた。昼前に血液検査をしたけれど、ほとんど状況は変わらず。この日は19時過ぎにふたりとも家に帰った。
腎臓の病気は食べるのがつらくて、あまり食べることが出来なくなってしまう。でもちゃんぷるは波はあったけど、5月の3週目ごろまでは手作りのごはんを、完食できなくても食べてくれていた。薬もちゃんと飲んでいた。
その後は流動食がメインになったけど、市販の柔らかい介護期用のフードも食べてくれていた。6月3日まで。
6月3日、俺はライヴがあった。その日は連れが泊まりの仕事が入ってしまって朝から家に居なかったから、俺は午後15時すぎからのリハーサルが終わってすぐ家に帰り、本番の1時間ほど前に戻った。ちゃんぷるは、朝昼ちゃんと食べてくれて、わりと元気で。夜は義理の妹が仕事帰りに様子を見に来てくれていたんだけど、俺はライヴが終わって打ち上げの乾杯だけして挨拶をしてすぐに帰った。夜のごはんも残したけど食べた。
このライヴは、俺のバンドでの最後のライヴだったから、ちゃんぷるはがんばってくれてたんだ。俺が心おきなくライヴできるように、元気な姿を見せてくれていた。この日までは。
次の日、4日の朝9時に点滴をしに病院に行って、帰ってきてから昼に下痢をしてしまって、それから体調を崩して流動食しか食べられなくなった。流動食もシリンジで少しずつ流し込むような感じで。病気のせいでほんとに食べるのがつらいらしく、食べさせるこっちもつらかった。
その後、6月9日、それまでよちよち歩きでも自力で歩けていたのについに立つことが出来なくなってしまった。後ろ足が膝を曲げられないし、力が入らない。
8日までは、たまに滑って尻もちをついてもがんばって立ち上がり、自分で水を飲みに行ったり、トイレに行ったり出来てた。
8日は俺たち夫婦の結婚記念日だったんだ。こんな状況だから別に何もしなかったけれど、ちゃんぷるはきっとちゃんと分かってて、安心させようとしてくれてた。これ以上ないお祝いをしてくれた。家族の大事な日に心配をかけないように、体はつらいはずなのに、自分でちゃんと出来るところを見せてくれてた。
そして、11日の発作からの2日間とちょっと。いつもの病院から24時間体制の病院に移動して入院しての2日間。いつどうなるか分からない、大きな変化はいい方にも悪い方にもなくずっと低空飛行が続いている感じ、と言われての2日間。
13日の夕方、11日にかかりつけの病院で今日が山だと思うと言われてここにきたけどその状況は変わらないのか、ということをもう一度先生に聞いたのだが、山がずっと続いているという答えだった。これが続くとどうなるのかと聞くと、あとは心臓はもちろん体力がどこまで続くかっていうことになるということだった。
そんなずっとつらい中で2日間もがんばってくれてた。
その間のほとんどの時間を病院または車の中で連れとふたりで過ごした。これは最後にちゃんぷるがくれた時間だ。
最近、心配と不安でお互いちょっとギスギスしてたところがあった。ちゃんぷるのことで意見が合わないと言葉がキツくなるし、怒鳴り合いに近いような喧嘩もしてしまっていた。
だから、ふたりで過ごす時間をちゃんぷるが与えてくれたんだな。アイツら仲良くなるようにって、その時間をくれたんだな。ただひたすら、ちゃんぷるのことを祈るようにふたりで考え、面会の後には「昨日より普通の顔になってたよね」「ちゃんと分かって反応してたよね」って話したりして。
13日、19時前に面会した時、ちゃんぷるは走る姿を見せてくれた。ふたりで撫でるとうんうんと頷いて、足をバタバタとさせた。何度も。また発作が出ちゃったのかと一瞬心配になったけど、すぐに違うって分かった。ちゃんぷるは走るのが大好きだったから、その姿を見せてくれたんだ。
俺たちはそれを見て、嬉しくて、少し安心して、くるみの世話と自分たちの風呂や着替えのために一回家に帰った。病院には夜中くらいに戻ると伝えた。
その日くるみの13歳の誕生日だったけど、お祝いはちゃんぷるが帰ってきてからということで、動物保険会社のアニコムが送ってきたバースデイカードといっしょに写真だけ撮った。
0時を少し過ぎてから、飲み物と朝に少し食べるつもりでクラッカー、それと病院の待合室が冷房で寒いから上着を用意して家を出た。マンションの立体駐車場で車に乗る直前に病院から電話があって、急患がたくさん来てるから今来てもすぐに案内できないかもと連絡があった。でも、もう駐車場まで降りてるし、病院に行っておきたいからそのまま出かけた。
病院に0時30分すぎに着いたら、車は次々くるし、待合室はいっぱいだしで忙しそうだった。受付に行き、到着していることを伝えて、容体は特に変わりなく安定していると聞いた。
この分じゃしばらく面会は無理だろうと思い、連れがアイス食べようというので、近くのコンビニではなく、川を渡って少しだけ離れたセブンイレブンに行った。俺はフローズンヨーグルトのバー、連れはソフトクリームを買った。病院に帰る途中の大岡川の橋の上でふたりで食べた。
あの夜あの時、清らかな風が吹いてた。美しい夜だった。穏やかな時間だった。
あの時間、あの景色、あの空気、一生忘れることはないだろう。ちゃんぷるがくれた、時。
食べ終わってちょうど車に戻った時、連絡が来て面会できると。
そして、午前1時30分、ちゃんぷるは俺たちに会って……。
くるみの誕生日の6月13日が過ぎるのをちゃんと待って、他の急患の動物たちの治療が落ち着くのを待って、俺たちが面会に来るのを待って……。
ほんとにがんばった。どの先生たちも口を揃えて言ってた。
3月に少し体調を崩した時点で、いつ何が起こってもおかしくない状態、ごはんを食べてるだけでもすごいことだと思ってください、と言われて、それから3ヶ月。
ちゃんと食べたし、ゆっくりだけど歩いて散歩にも行ったし、自分で水も飲んで、トイレもして、かわいいかわいい笑顔をたくさんたくさん見せてくれて。
歩けなくなって、オムツなんてするのが嫌だったのかな、俺たちの手を煩わせるのが嫌だったのかな。そんなこと思わずに、思いっきり煩わせてくれたらよかったのに。
ありがとうをいくつ言っても足りないよ。
診療室から小さな診察室へ案内されて、そこで体をきれいにしてもらっているちゃんぷるを待ってた。そりゃもうずっと泣いてた。
2:18にペット見守りカメラのファーボから通知がスマホに届いた。動きがあると15秒間映像が録画されて通知が届く。
アプリを開いて生の映像を見るとくるみがいつもちゃんぷるがいたベッドのある場所の横で吠えてその後そこに座って佇んでいた。そこはちゃんぷるの居場所だからくるみはその場所に留まることはほとんどない。あぁ、ちゃんぷる、くるみに会いに行ったんだなぁって。
段ボールの棺に入れてもらったちゃんぷるを受け取って帰る時、看護士さんに、パパとママが来ると穏やかな表情になるねって話してたんですよと言われた。家で最期を迎えることは叶わなかったけれど、その時に一緒にいられてよかった。
家に着いたのは午前3時ごろだっただろうか。棺のふたを開け、くるみを呼んでちゃんぷるを囲んだ。そしたら、くるみがスピースピー言って泣いてた。涙がひとつポロッと。普段は涙がぜんぜん出ない子なのに。ちゃんと分かるんだな。それを見てまた3人で泣いた。
棺の周りに簡単にお供えをして、傷まないように保冷剤をちゃんぷるの体にあてて、冷房をガンガンにつけた。俺はスマホで2年前にちゃんぷるのことを想って作った曲「Stay」を流した。ちゃんぷる、俺がリビングでギター弾き出すといつも寝室に逃げていってたけど……。
しばらくして、あまり寝ていなかったからちゃんと眠れるようにアルコールをと思ってビールを飲んだのだけど、結局30分ほどしか眠れなかった。すぐに目が覚めてしまった。
朝、動物の火葬をしてくれる市営の戸塚斎場に受付時間になると同時に電話をしたのだけど、14日はもういっぱいで翌15日の11時からの予約になった。
結果、この1日がまた貴重な時間となった。
午前中、俺はかかりつけの病院に11日の会計と黄金町の病院に移動するときに借りたカーゴと毛布を返しに行った。診察の合間に診察室に入れてもらうと、主治医とサブの先生、数名のスタッフが揃ってくれた。俺は報告と今までのお礼をした。主治医の先生が言ってくれた。私は正直、もっと早く…って思ってました、だけどお二人が手作りごはん作って、ちゃんぷるちゃんもそれを食べて、ほんっとに素晴らしかった。って。ただでさえ泣いてんのに、そんなこと言われたら号泣だよ。
その後、花をたくさん、それと厳しい食事制限があったせいで食べられなかった好きだったオヤツをいくつか買って帰った。連れが6月14日の花を調べたらブルースターで花言葉は“幸福な愛”“信じあう心”だったからそれも欲しかったのだけど、なかった。
午後はうちの中が寒いからみんなでたくさん着込んで、DVDに保存してあるちゃんぷるの映像を観て笑ったり泣いたりして過ごした。みんなで行った旅行の時の走り回ってるちゃんぷるとくるみ、その後疲れて寝てる姿。連れがポツリと言った。この時に帰りたい。って。
夕方、遺影写真を選んでファミマでプリント、それを入れる額を買いに。6月1日に撮った、とても18歳の老犬には見えないかわいい写真を選んだ。ついでに別の花屋でブルースターを探したら少しだけ置いてあったから、3本買って帰った。
4人で過ごす最後の夜、ずっとDVDやスマホに保存されてる動画や写真を見て、静かに過ごせた。冷房が寒かったけどとてもいい時間だった。
15日、朝、棺の中にオヤツ、写真、ぬいぐるみを入れて、花を飾った。くるみはその間、横でずっとお座りしてた。
ちゃんぷるはほんとにかわいかった。何度も何度も頬を撫でた。あの感触、ずっと忘れない。
発作を起こした前日10日の夜、俺はちゃんぷると小1時間、話をした。連れは仕事からまだ帰ってなくて、くるみはどこかで寝てた。
いっぺんに食べると消化出来なくてまた下痢になってしまうから、ちょっとだけ流動食を飲ませようとしたのだけれど、その時少したまに起こしてた軽いチック症状(ビクッとなる)があったから、抱っこした。
ソファの後ろの床に、ソファの背面にもたれて座って、ちゃんぷるはいつも通り俺の左手側に顔がくる横向きで膝の上に乗せて。最初はただ静かに抱えたおなかの辺りをなでていた。ちゃんぷるはそのうち落ち着いて、俺の胸に左の頬をぺったりとくっつけて、完全に全体重を預けてくれた。
たくさん話した。
「楽しかったなぁ、おもしろかったなぁ」
「いろんな所に行って、いろんなことしたよね。いろんなものを見て、いろんな道を歩いたよね」
「桜の下で写真を撮ったね。いつものつつじの前でも写真を撮ったね。5月の夕陽をたくさん見たよね。梅雨が来て、ちゃんぷるは19回目の夏が来て、俺は53回目の夏が来て。それから少し涼しくなって。また江ノ島に行きたいね。それで冬の始まりの日にちゃんぷるは19歳になって、それからまた春が来て、そしたらまた桜を見に行こうね」
「シャイなのに人が好きで、クールなのに甘えん坊で。ちょっとナイーブなのにけっこう悪ガキで。寂しがり屋なのにひとりになりたい時もあって。なんでも食べちゃう食いしん坊で」
「チワワなのに大きくて、トリミングなんて中型犬の料金だったし」
「ちゃんぷるはいつもお散歩隊長だったね。一番前を歩いて、行くところもちゃんぷるが決めてた。帰りたくない時は2時間半も歩いたりするからくるみがついていけなくて。それで帰り道は走るし。歩道橋の階段なんて一段片足ずつでひょいひょい駆けのぼるから俺はくるみを抱えて大変だったよ」
「16歳の時に検査に行った病院のお医者さんに空気を読めちゃう頭のいい子って褒められて。この子はまだまだ長生きしますよって言われて。俺は涙が出るほど嬉しくて。ねぇ、まだまだってどれくらい?まだまだだよね」
「18歳になった時に主治医の先生に誰もが憧れる18歳って言われたもんね」
「この部屋に引っ越してきた最初の日からずっといっしょに18年。ここはちゃんぷるの家だから」
「楽しかったな。幸せだったな。ありがとうな。ちゃんぷるがウチに来てくれて俺はほんとに幸せだったな。俺の人生はほんとに幸せだったな。やり直したいことなんて何一つない」
「ずっといっしょにいようね。ちゃんぷるはちゃんぷるのまま、俺は俺のまま、姿かたちが無くなったとしても、生まれ変わったりなんかしなくていいから、ちゃんぷるはちゃんぷるのまま、俺は俺のまま、ずっとずっといっしょにいようね」
って、静かに静かに、俺は時々笑いながら時々涙を流しながら、ちゃんぷるはただ俺に体を預けて、ふたりで小1時間、そんな話をたくさんしたんだ。
けど、病院で待機してる時に、この話を連れにしたら「私は、生まれ変わったら絶対見つけるからいつでも来てねって言っちゃたよ」と言ってた。
「ちゃんぷる、どうしようか迷っちゃわないかしら」って(笑)
いいんだよ、魂の話なんだから。
最期のとき。
診療室に呼ばれて、それまでと同じように酸素室の扉を開けて、ちゃんぷるを撫でて「がんばってるね」「えらいね」「そばにいるからね」って声をかけて、それまでと何も変わらずじゃあまた後でって感じで去ろうとした時、俺は何か違うって感じた。
えっ、息してない気がするって言いながら、慌てて扉に顔と手を突っ込んでちゃんぷるの体の下に手を入れた。鼓動がない。手を当てている場所が悪いのかと思って少しずらしてみた。動いてない。お腹をずっと見てたけど動いてない。やっぱり呼吸してない。めちゃくちゃ驚いてはいたのだけど、なぜかどこか静かな気持ちだった。
連れが先生を呼んだ。
数人の先生がすぐに来て、ちゃんぷるを診察台に移して、急いで取り付けられた心電図が波うたず、聴診器をあてた先生に「午前1時30分ちゃんぷるちゃんの心臓が止まってしまいました」って言われた。
俺たちが診療室に入ってから直前に確認しているので、ほんとに面会している時だと先生が説明していた。
誰も気がつかないくらい、俺も連れもその瞬間がいつだったのか分からなかったくらい、それくらい静かにちゃんぷるの心臓が止まった。
なんか不思議な感覚だった。
よく、旅立つとか、星になるとか、虹の橋を渡るとか、永眠するとか、そういうふうに言うけれど、そういう感じじゃなくて。
なにか分からないけど言葉で言えないけど、ちゃんぷるがふっと、俺の周りの空気に溶けたというか、世界に溶けたというか、溶けたっていうのとも違うんだけど、近い言葉を見つけるとしたらなんかそんな感じがして。
あぁ、そうかぁ。そういうことかぁ。そうなんだぁ。って思って。
もうそりゃ号泣なんだけど、連れとふたりでちゃんぷるを撫でて「がんばったね、がんばったね」「楽しかったね、幸せだったよ、ありがとうな」って言いながら、ちゃんぷるが楽になったっていう安心感と何かその瞬間に急に立ち上がった静謐な世界に包まれたような、そんな感じがしてた。
そして、後になって思った。そもそも、ちゃんぷるって名前。もちろん沖縄の言葉チャンプルーから取った訳だけど、チャンプルーって混ぜる、混ぜ合わせるっていう意味。主に「ゴーヤチャンプルー」なんていう料理に使われたりする言葉だけど、沖縄のいろいろなものが融合した文化を「チャンプルー文化」と言ったりする。
18年前、ちゃんぷるをウチに迎えることになった時、連れと名前どうしようかと相談して、その頃好きだった(今でも)沖縄の言葉から取ったらどうって話になって、どっちが言ったんかな「ちゃんぷる」って響きがかわいいよねって。当然、意味調べて“混ぜる”“融合する”……あっ、いいんじゃないって。
そうか、ちゃんぷる、空気なのか世界なのか、そんなことじゃない概念の外にあるものなのか、分からないけど、チャンプルーしたんだなぁって、そういうことなのかなって。
それはきっと永遠なんだ。
5月13日
5月27日
5月29日
6月1日
6月2日
6月3日
6年前からずっとお気に入りだったベッド。
6月4日
病院からの帰り、車の中。小さい頃から使ってるバッグに入って。
6月5日
6月6日
6月7日
6月8日
鎌倉の眼科の駐車場。
6月9日
大好きだったお散歩。最後はカートで。もらったばかりだったのに1回しか使えなかった。
6月10日
星の王子さまのキツネ。どことなくちゃんぷると似ている気がして、ウチにはこのキツネのぬいぐるみがいくつもある。
6月11日
入院した日の朝。この写真が残っていることが嬉しい。
6月16日
2年前にちゃんぷるのことを想って作った曲。「Stay」
注)歌詞のあとに棺に納めたちゃんぷるの写真があります
「Stay」
夏の虹を探しながら
冬の星座を数えながら
どれくらいここにいられるだろう
どれくらい君といられるだろう
春の小鳥がさえずるように
秋の木洩れ日に触れるように
どれくらい愛を伝えただろう
どれくらい君に伝えただろう
星空まであと
ほんの数センチメートル
この手に届きそうな夜
永遠に夢でいい
一瞬の夢でいい
世界はまた移り
変わってゆくけど
せめて夜明けまで
このままでいい
過去も未来も
今この瞬間の中に
星空まであと
ほんの数センチメートル
この手に届きそうな夜
時が過ぎるほど
降りつもるセンチメンタル
繋いだ手をほどけない夜
永遠に夢でいい
一瞬の夢でいい
世界はまた移り
変わってゆくけど
せめて夜明けまで
このままでいい
6月15日
18回目のバースデイケーキ [ちゃんぷる]
11月の半ばくらいからごはんをあまり食べなくて、たぶん選り好みしてるだけだったのだけど、ケーキを注文するのは様子を見ていた。具合が悪いのならあまりケーキは良くないかと。
だけど月末には食欲が戻ってガツガツ食べるようになったから、誕生日の12月1日には間に合わないけどいつものようにバースデイケーキの注文をした。
10日遅れてしまったけど、あらためてハッピーバースデイ。
18回目のバースデイケーキ。こんなに嬉しいことはないよ。
写真を撮っているうちに8のクッキー食べちゃった!
どこに行っても18歳には見えないって。病院の先生には「みんなが憧れる18歳」なんて言われたし、今日も元気に散歩に行ったし。
ちゃんぷるのおかげでこんなに幸せな気持ちになれる。ちゃんぷるも同じだけ幸せだと思っていてくれたらいいな。
ちゃんぷる18歳 [ちゃんぷる]
12月1日、ちゃんぷるが18歳になった。
HAPPY BIRTHDAY!
ついでにくるみも被りもの。
ちゃんぷるは新しい服と腹巻きを買ってもらった。
最近、ごはんをあまり食べなかったのだけど、馬肉雑炊というのを買ってきたらメチャクチャ食べる。もっとくれっておねだりする。やっぱりいつものごはんに飽きていただけだったのか。腎臓のことも考えないといけないのだけど……。とりあえず食欲が戻ってきたから一安心。
そんな訳で、今年はどうしようかと思っていたバースデイケーキだけど、遅れて注文した。届くのは来週かな。
18歳。ゆっくりだけど散歩にも行くし、まだまだ元気。
こんな日を迎えることができて、家族として、感謝しかない。ありがとう。おめでとう。
くるみも一緒に、日々、大切に過ごしていこう。
連れはギズモがブームらしい……。
HAPPY BIRTHDAY!
ついでにくるみも被りもの。
ちゃんぷるは新しい服と腹巻きを買ってもらった。
最近、ごはんをあまり食べなかったのだけど、馬肉雑炊というのを買ってきたらメチャクチャ食べる。もっとくれっておねだりする。やっぱりいつものごはんに飽きていただけだったのか。腎臓のことも考えないといけないのだけど……。とりあえず食欲が戻ってきたから一安心。
そんな訳で、今年はどうしようかと思っていたバースデイケーキだけど、遅れて注文した。届くのは来週かな。
18歳。ゆっくりだけど散歩にも行くし、まだまだ元気。
こんな日を迎えることができて、家族として、感謝しかない。ありがとう。おめでとう。
くるみも一緒に、日々、大切に過ごしていこう。
連れはギズモがブームらしい……。
2022夏〜秋 [ちゃんぷる]
くるみは歯磨きが得意。
ちゃんぷるはドッグフードを嫌がるようになってしまったから、栄養士さんにレシピを作ってもらった。3種類。7月からこれにしたらよく食べる。体重もキープできていい感じ。レシピも増やして9種類作ってもらった。それなのに、11月になったらこれもあまり食べなくなった。どうしたらいいんだ〜。ヨーグルト、アイスクリーム、チーズは比較的食べる。とにかくちゃんと食べて元気でいてもらいたい。
りんごのネットかぶってゴキゲン(笑)くるみそばつゆって……。
今年のはじめから右目がしょぼしょぼしていたのだけど、最近パッチリしてる。よくなったりわるくなったり、もう歳だから完治は難しいのだろうけど、今はあまり気にしていないようだしこの調子が続くといい。目薬をがんばって続けよう。
ちゃんぷるはあと3日で18歳!
春〜初夏、くるみ12歳 [ちゃんぷる]
13日はくるみ12歳の誕生日。
ケーキではなくタルト。いい子にするから早くくれ〜って感じ。
その2日前、11日はウチに来て10年の記念日。もう10年か。
最初はちゃんぷると仲良くなるのか心配だったけど、お互いびみょ〜な距離感で仲良くしてる。
決して一緒にくっついて寝たりとかしないのだけど。くるみが時々ガウガウやったりするからちゃんぷるが怒ったり。
それでも、ごはんを食べるのがゆっくりになったちゃんぷるが食べ終わるまで、くるみはちゃんとケージの中でおとなしく待ってたりする。
相変わらずお調子者のところはあるけど、ちょっとはお利口になったか。いや、なってないか……。まぁ元気だからよし。
そう、ちゃんぷる、歳をとって食べなくなった。昔はなんでも食べたのに気に入らないと食べない。ずっと腎臓ケアのフードを食べていたのだけど、気に入らなくて食べなくなった。お湯でふやかしたり、少し肉を入れて煮たりしても最初だけですぐに飽きる。歳をとるとそうなるみたい。トッピングをつけたりして少しずつ食べさせたり。毎晩大変だった。結局、腎臓ケアのフード5種類も試し買いして、やっとお好みのフードを見つけた。食欲がない訳ではないから、最近はわりとよく食べてる。だいたい1時間前に薬も飲まなきゃいけないから、ごはんの時間の約1時間が毎日の一大イベント。サクサク食べてくれたら嬉しいいし、あまり食べない時は心配になるし。
買い物から帰ってくるとおいしいものが入ってないか、バッグの中を必ずチェックするんだけどなぁ。
どうでもいい話だけど、さらに3日前は20回目の結婚記念日。自分らの。
たまには花なんか買ってみたり。
そんな感じの6月ですが、このブログもぜんぜん更新しなくなった。ライヴもあんまりやってないし、発信したいこともなくなった。パソコンに向かう時間があったら、ちゃんぷるとくるみとまったりしていたい。
写真はたくさん撮っているから、春から初夏の分、少し載せておこう。また本にする時のために。
桜の下で
1個くれよ〜
5月はつつじ
ビンドゥンドゥンがウチに来た
もうすぐ夏が来るなぁ。
ケーキではなくタルト。いい子にするから早くくれ〜って感じ。
その2日前、11日はウチに来て10年の記念日。もう10年か。
最初はちゃんぷると仲良くなるのか心配だったけど、お互いびみょ〜な距離感で仲良くしてる。
決して一緒にくっついて寝たりとかしないのだけど。くるみが時々ガウガウやったりするからちゃんぷるが怒ったり。
それでも、ごはんを食べるのがゆっくりになったちゃんぷるが食べ終わるまで、くるみはちゃんとケージの中でおとなしく待ってたりする。
相変わらずお調子者のところはあるけど、ちょっとはお利口になったか。いや、なってないか……。まぁ元気だからよし。
そう、ちゃんぷる、歳をとって食べなくなった。昔はなんでも食べたのに気に入らないと食べない。ずっと腎臓ケアのフードを食べていたのだけど、気に入らなくて食べなくなった。お湯でふやかしたり、少し肉を入れて煮たりしても最初だけですぐに飽きる。歳をとるとそうなるみたい。トッピングをつけたりして少しずつ食べさせたり。毎晩大変だった。結局、腎臓ケアのフード5種類も試し買いして、やっとお好みのフードを見つけた。食欲がない訳ではないから、最近はわりとよく食べてる。だいたい1時間前に薬も飲まなきゃいけないから、ごはんの時間の約1時間が毎日の一大イベント。サクサク食べてくれたら嬉しいいし、あまり食べない時は心配になるし。
買い物から帰ってくるとおいしいものが入ってないか、バッグの中を必ずチェックするんだけどなぁ。
どうでもいい話だけど、さらに3日前は20回目の結婚記念日。自分らの。
たまには花なんか買ってみたり。
そんな感じの6月ですが、このブログもぜんぜん更新しなくなった。ライヴもあんまりやってないし、発信したいこともなくなった。パソコンに向かう時間があったら、ちゃんぷるとくるみとまったりしていたい。
写真はたくさん撮っているから、春から初夏の分、少し載せておこう。また本にする時のために。
桜の下で
1個くれよ〜
5月はつつじ
ビンドゥンドゥンがウチに来た
もうすぐ夏が来るなぁ。
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