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響き続けるだろう [ちゃんぷる]

夏に向かって準備万端な感じの気温ですが、俺はまだ上着を着ていたい。街に出るとTシャツ姿の人とかけっこういるけど、まだ早いだろ~。いや、俺が遅いのか。

ちゃんぷるはクッション集めて大あくび。

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こんばんにゃ、久しぶりの更新になってしまったONOchanです。

映画「LISTEN」観てきた。

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“「聾者の音楽」を視覚的に表現したアート・ドキュメンタリー”と、この前持って帰ってきたチラシに書いてあったが、これはまったく新しい感覚、体験だったかも。
まったく無音の58分。劇場入り口で耳栓が配られて、雑音もシャットアウト。まぁ、耳栓は慣れてますから。

これはいったい何なんだろうっちゅー。聾者の表現する音のない“音楽”。最初の方はパントマイムを観ているような感じだった。けど、違う。
そのうち、彼らの動きに合わせて、自分の知っている音をココロの中で想像するようになった。けど、これも、何か違う感じ。
だけど最後の方、海辺で羽根のような衣装を着た女の人が踊る(踊るというのとは違う気がするが便宜上)シーンあたりから、ココロの中で確かに何かが鳴り始めた。それは「音」や「音階」や「言語」的なものではない気がした。適切な言葉が分からないけど、俺の場合は「叫」が近い気がした。終わり間近の白い服の6人組が踊るシーンは楽しくて一緒に歌ってるような感覚になった。

「共鳴」「響鳴」「叫鳴」。

帰ってきてパンフレットの監督(聾者)インタビュー読んだら、「音楽」という“音”を“楽しむ”と書く言葉のせいで音にこだわり過ぎてしまう、言葉の意味にひっぱられてしまうところがある、ということを言っていて、まさにその通り、俺は自分が知っている範囲の中の音を彼らの音のない音楽に付けようとしてしまったのだから。

もしかしたら、音楽っていうのはもっと、普段自分たちが思っている以上にもっと、自由で純粋な何かなのかもしれない。
出演者の初老の男性が、聾学校での音楽の授業は苦痛だった、と言っていた。なぜなら、それは音楽に合わせて発声練習する「訓練」でしかなかったからだと。

俺はずいぶん長いこと音楽をやってきたけど、考えてみれば、いろんなものに縛られてるところはある。テンポだったり、音階だったり、言葉だったり。けど、それは音楽として成立させるために必要なものなのかもしれないが。
解放できないか、それを。少しでも。せめて、ココロは解放されていたい。
そのことを、この映画を観て、ほんの少し体験したのかもしれない。音楽はたぶんもっと深くて大きい。

きっと、どんな人でも歌を歌ったことがあると思う。鼻歌さえ歌ったことがないなんて人はまずいない。音楽はどんな人でも奏でることが出来るのだと思う。聾者であっても。
空気を振動させて伝わるのが音なのであれば、彼らのそれは音楽と言ってもいいのではないかと思った。

誰でもリズムを持っている。鼓動。ハートビート。
俺の場合はハートビートの他にウィンウィン……っちゅーモーターがまわってるみたいな耳鳴りが常に鳴ってるから、これは俺にしかない独自のグルーヴになるのだろう。

Can you hear my Heart Beat ?

正直、中盤まではどんなふうにこの映画を観れば、向き合えばいいのか戸惑いがあったから、今度、横浜で公開になったらもう1回観に行こうかな。最初から純粋に体感したい。

将来、俺は歳と共に今聴こえている高音域の聴力が落ちてくると、全聾とまではいかなくてもかなり近い状態になる可能性が高い。その時、どんな音楽が聴こえるのだろう。
と、考えたけど、なんだ、そんなことの答えはとっくの昔に歌にしてるんだった。

even if I lost the sound tomorrow, rock and roll will continue to sound.
もしも明日 俺が音を失くしても ロックンロールが響き続けるだろう
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