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始まりの日 [ちゃんぷる]

BSで再放送されている「あまちゃん」を録画して日々観ている。やっぱり面白い。

こんばんにゃ、そんな訳で夏の終わりには第二次あまロス確定のONOchanです。

とは言っても、あまちゃんばかり観ている訳ではない。
先週末は舞台「アドルフに告ぐ」観劇、昨日は映画「あん」観賞、本日マンガ「アドルフに告ぐ」再々再々読了。

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「アドルフに告ぐ」手塚の名作。劇中の台詞「世界中の子供たちに正義だと言って殺しを教えたら、人類はあっという間に滅亡する」。
今、この国で考えなくてはいけないこと。戦争という殺人、あるいはそれを支援するという行為を、国家として「正義」とするのか。
俺は、海外で日本人が死ぬことになるかもしれない、ということより、遠い国の子供たちを日本人が殺すことになるかもしれない、ということの方に恐れを感じている。
個人的には、ぶっちゃけ、憲法なんかどうだっていい。大切なこと(もの)は法じゃないと思っているから。まぁ、9条は抑止力にはなるのだろうけどね。

「あん」ドリアンさんの名作。映画、多くの人にぜひ観て頂きたい。樹木希林、永瀬正敏、名演。ちゅーかもう演技じゃないくらいその人そのもの。
ハンセン病という病気、そして差別ということを扱った作品。生きることの意味、未来への想い。
永瀬の最後の台詞、文字にしたらなんてことはない言葉にこんなにココロ揺さぶられるとは思わなかった。
春にドリアンさんの遠足に参加して行ってきた施設、多摩全生園も出てきた。やっぱり映画を観る前に行ってきてよかった。
ぜひ、時間作って観に行った方がいいと思うよ。必ず何かがココロに残る映画です。

と、ここまでは前振り。ここから本題。

俺は小野田家の問題児だったのかもしれないけれど、今となっては、小野田家の数々の問題を解決する方。
もう、ほんと、俺の肉親、問題だらけ。うんざりするくらい。
ひとつずつ解決するために、まずは、今は両親の家にいるばあちゃんの住んでいたアパートを引き払うために片づけ。
休みの度に片づけに行ってる。そんなに山のように荷物がある訳ではないのだけれど、やっぱりいろいろ出てくる。
戦時中パラオにいた頃のもの、昭和初期のレコード、大正時代の本などなど。
戦死したじいちゃんの遺品。戦地からばあちゃんに宛てた手紙や、じいちゃんの勲章、通信兵だったから通信に関することを丁寧に纏めたノートなどなど。手紙は出された場所をみると、そこはじいちゃんの最期の地。だったりするものもある。
すげ~なこれ。ばあちゃん、大事にしまってたんだなぁ。とりあえず、簡単に処分できないようなものはまとめて親の家へ。落ち着いたら、ひとつずつ調べてさらに仕分けしなきゃ。

そして、俺にとって大切なものもあった。ちゅーか、いつかは俺が引き取るべきと思っていたものなのだけど。

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はい。弦の切れたボロボロのガット・ギター。

持ってきてから気付いたんだが、ホールの中をのぞいて見るとRock Guitarなどと書いてある。番号は335。

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ペグもイカレちゃってるなぁ。直せるかなぁ。

13歳、中2のある秋の夜、「少女に何が起こったか」を観終わった後、ばあちゃんギター持ってたなぁと思って、押し入れから引っ張り出してきたのがこのギター。なんとなくドレミファソラシドが弾けた。が、チューニングというものを知らなかった。だから数日後、楽器屋のエレキギターを友達の前で弾いた時に恥をかいた。

翌日、学校で「オレ、ギター始めたからバンドやろうぜ」と友達に声をかけ、その日のうちにバンドが結成された。ついでに、その日のうちに、なんと初ライヴもやってしまった。恐るべし中2。

その時のメンバー、今でも覚えてる。Vo&G・アキラ(陸上部)G・おのちゃん(陸上部)B・しげ(陸上部)Sax・ケンケン(陸上部)Dr・マッチすが(陸上部)マネージャー・ずうこ(陸上部)客・はやしせんせ(数学)。

その時の俺のクラス、陸上部の奴ばかりいたんです。俺もなぜか陸上部だったんです。
部活なんか真剣にやってない訳。ジャージに着替えても、いっつもコイツ等と野球とかサッカーとかバレーボールとかドロ刑とか缶けりとかやって遊んでた。
で、練習を正当な理由でサボるために考えたのが週2回の数学の補習。勉強する気ありません。が、産休する事になった数学の先生の代わりに2学期から来た教師1年目の林せんせ(23か24歳)美人だったのです。僕たちは林せんせに、放課後、数学の補習をお願いしたのでした。

そしてその日はちょうど補習の日。で、僕たちは言いました。「俺達さぁ、バンド組んでベストテンに出ることにしたから!」と。
最初から勉強する気はないのです。もうすっかりバンドの話で盛り上がっちゃった。で、やっちゃったんだよ、初ライヴ。
俺は当然、「モッズをやろう」と言ったのだけど、Voのアキラに「モッズじゃベストテンに出られない」と言われたのと、全員が知ってる曲じゃなきゃっていうのと、すでにSax担当がいた訳で、曲はチェッカーズをやることになった。いまいち記憶があいまいだけど「ギザギザハート~」と「ジュリアに傷心」だったような気がする。

楽器ですか?ちゃんとありましたよ~。ギターはほうき、ベースはギターより長いからT字ぼうき、サックスはアルトリコーダー(ケースから出さず)、ドラムは机でスティックは図工の時間に使った木片2本。

イントロ、ギターもベースもサックスもみんな同じメロディを口ずさむ。ギター(ほうき)弾いてるんだけどね。歌入ったら、ほぼ歌メロを好き好きにスキャット、歌の切れ目だけなんとなく楽器の音をスキャット。めちゃくちゃですよ。サビとかみんなコーラスだし。コーラスなのに、主旋律だし。

楽しかったなぁ。林せんせも楽しそうだったな。お客さん一人だったけど、超もりあがったライヴだったなぁ。

想い出したよ。このガット・ギター持って帰ってきて。
音楽なんて、本当はこういうものなんじゃないのかなぁ。これが音楽の原点なんじゃないのかなぁ。だってそこにいたみんな楽しかったもん。
もっと楽しくなるために、ほうきギターではなくエレキ・ギターを手に入れて、もっと楽しくなるためにコードとか覚えて、もっと楽しくなるためにちょっとした技術や理論身に付けて。
けど、いつの間にか、本末転倒しちゃうこともあって、上手に出来なくて落ち込んでしまったり。もちろん、悩んで悩んで、ちゃんと演奏できた時の喜びっちゅーのはあるのだけど。
なんか違うじゃん、楽しくなるための技術のはずが、技術を求め過ぎて楽しくなくなるなんてのはさ。
あ~、よ~く分かったよ。俺はいつでも、あの時の、ほうきギターに戻ればいいんだな。次のリハの時はギターケースにほうき入れて持って行くか。

あの時のメンバー、今はもうほとんど音信不通。みんなどうしてるかな。
ベースのしげはその後すぐにベースを買って、別の高校へ行ったのだけどバンドをやってた。20代後半までたまに会っていたのだけど、その頃にはもうバンドはやっていなかった。

顔がカッコイイという理由だけでヴォーカル担当になったアキラは10数年前に街でばったり会って、ウクレレのオーケストラに参加してるって言ってた。「俺、ギター買ったけどぜんぜん弾けなかったじゃん。けど、ウクレレだったら出来るかなっと思って始めたんだよ」って。それ以来会ってない。

ドラムのマッチすがは中学卒業後進学はせず、就職して、免許を取った20代の頃はトレーラーの運転手やってた。一度深夜の長距離ドライヴに乗せてもらったことがあるんだけど、トレーラーの寝台にサッカーボールとエレキ・ギターが積んであった。2、3年前マッチすがのお兄さんにたまたま会ったら、今はフランス料理のコックになって海外を飛び回ってるって言ってた。

サックスのケンケンとマネージャーのずうこには、25歳くらいだったかな、このメンバー全員で一泊旅行をした時以来会ってない。

それから、はやしせんせは、産休で休んでいた先生が俺たちが3年になる時に復帰したから、2年終了時で転勤。卒業前にみんなで手紙を書いた。バンドのことも書いた。ちゃんと返事きた。きっと素敵な先生になったに違いない。なんかちょっとスウィートな想い出でしょ。

想い出した、始まりの日。
そしてまだ終わらない。
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